【教訓】ボランティア、闇堕ち回避

black-stone-heart メンタル
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カナダのハリファクスで一年間のワーホリを終えたニート、こぼれ雨でござる。

 

秋~春にかけて半年ほど厩舎ボランティアをしていた拙者。

自発的に始めたものだったが、途中でボランティア特有の闇堕ちをしそうになった。

 

結果的に闇堕ちは回避できたのだが、本件は国やコミュニティを関係なく、どんなボランティアでも起こりうる問題だと思う。

ゆえに、今回はワーホリ記事としてではなく、あえてメンタル記事として分類した。

 

拙者の体験談が、世のボランティアの皆さまへの反面教師となれば本望でござる。

そもそも厩舎ボランティアとは

本題の前に、拙者が参加していた厩舎ボランティアとは何なのか。

詳しくはこちらの記事で触れているので、興味のある人は参考にどうぞ↓

 

運営ミスによる人手不足という問題

ではこのボランティアでどのような問題が起こったのか。

 

それは「人手不足」でござる。

 

当団体ではまず秋タームが行われ、ここで新人ボランティアが募集される。 

のだが、この秋タームでは運営の予想以上の新人が集まってしまった。

 

ボランティアのルールとしては、「週1回(2.5時間)のシフトが最低ノルマ」でござった。

しかし、溢れかえる人員ゆえに、ボランティア同士でシフトの奪い合う羽目になっていた。

 

拙者も秋タームの最初の方はなかなかシフトを確保できなかった。

時々当日になって急遽欠員が出たりするので、そのタイミングでシフト枠に入ったりしていた。 

 

時は流れ、半年後の春ターム。

こちらでは先の秋タームにおける人員飽和を反面教師にしたのか、なんと新人を募集しなかった。

要は、秋タームに登録していた人のみでボランティアを再開したのでござる。

 

秋には余るくらいの人手を確保できたのだから春も問題なく運営できるだろう。

 

そう思われるかもしれない。

というか、実際に運営はそう考えたのだろう。

 

しかーし、これが大きな間違いでござった。

 

「せっかく登録したのに肝心のボランティアに参加できない」

「いる意味ないんじゃないか」

「もういいや」

 

秋タームにてそんな風に己の存在価値を高められなかった人が多かったのか、春タームでは籍を残したまま静かにボランティアを抜けている人――いわゆる幽霊部員が多かった。

 

実際、拙者が秋タームで仲良くなった何人かは春タームでは一度も顔どころか、シフト表で名前を見かけることもなかった。

 

結果として、春タームでは毎シフトで

運営責任者
運営責任者

人手不足です!

まだシフト枠開いています!

当日連絡でもいいので参加お願いします!

 

と、シフト開始ギリギリまで運勢責任者が呼びかける羽目になってしまった。

「行ってあげなきゃ」という義務感

ここまでは運営の問題でござる。

ここからは、拙者が闇堕ちしかけた点について語ろう。

 

上述の通り、責任者が必死で呼びかける春ターム。

ボランティア自体は毎週金曜日と日曜日の二日間だけなのだが、それ以外の日も絶え間なく追加シフトが呼びかけられていた。

 

この必死な呼びかけは、名指しされているわけでもないのに「行ってあげなきゃ」と思わせるのでござる。

 

この「行ってあげなきゃ」という甚だしい被害妄想が助長された要因が二つある。

 

一つは、運営責任者の人柄でござる。

 

実際に何度も顔を合わせて知っているが、運営の不手際による人員不足とはいえ、責任者自身はとてもいい人なのでござる。

ボランティア運営のために、仕事や家庭と両立しながら全力を尽くしてくれているのでござる。

 

もう一つの要因は、これがセラピープログラムであるということ。

 

このプログラム利用者は大なり小なり心身に問題を抱える人たちであり、特に子どもが多い。

彼らを思うと、追加シフトに協力しないことへの罪悪感が募るのでござる。

 

ただ、拙者の本心がどうたったかというと「休みたい」でござった。

 

厩舎での作業は「寒い/足場が悪い/座れない」など、身体にくるのは否定しようのない事実。

 

さらに経験上、1シフト(2.5時間)でも途中で集中が切れるのでござる。

これを仮に1日MAXの2シフト、つまり5時間連続となるとかなりキツい。

 

拙者は元来疲れやすい体質なこともあって、あまりスケジュールを増やしたくなかった。

 

「これからの人生は自分を優先しよう」

 

辛かった学生時代から得た決意だったが、責任者の人柄や拙者らを待っているセラピー利用者の存在は、そんな決意をグラッグラに揺らしまくった。

 

最終的に、気付くとだんだんボランティアが憂鬱になっていったのでござる。

目を覚まさせた一言

さて、無意識の内に自分を追い詰め始めた拙者。

いかようにして闇堕ちを回避したかというと、それはルームメイトの一言でござった。

 

連日のようにボランティアを募る連絡がくる中、拙者はすでに十分なシフトを確保しているにも関わらず、追加シフトを入れようか迷っていた。

よほど疲れていたのだろうか、いつの間にかルームメイトのドラテクネキに愚痴をこぼしていたのでござる。

 

拙者
拙者

みんなが困っているから追加シフトに入った方がよいのだろうか……

しかし拙者は休みたい……

ドラテクネキ
ドラテクネキ

義務感や圧力で行ったらそれはもう『ボランティア』ではないよ

 

た、たしかに……!!!!!(いや自分で気付け)

 

ドラテクネキからのこの一言で闇堕ちを回避した拙者。

責任者と子供たちに悪いという気持ちは残っていたが、以降はシフト要求を素通りできるようになった。

問題点はどこにあったのか

さて、この顛末を語り終えたところでおしまい……にする拙者ではない。

二度と同じ過ちを繰り返さないようにするため、今回の問題の根本的原因はなんだったのか考えてみた。

 

結果、根本的原因は運営にあったと分かった。

一方で、拙者の考え方の歪みがよくない相乗効果を生み出していたことも無視できない事実。

 

以降、それぞれ独立した項目で語るのでしばしお付き合いくだされ。

運営ミス

今回の問題の根本的原因は「運営設計の歪み」から来ている。

より厳密にいうならば、秋タームの新人飽和という構造的ミスが修正されないまま春タームに持ち越されたことが原因でござる。

 

秋→春にかける運営とボランティアの問題をまとめるとこのようなかんじでござる↓

運営

(秋)人員を募りすぎ

「次タームでは追加募集はかけなくていいだろう」

(春)人手が足りない

常に追加シフトの呼びかけ

ボランティア

(秋)シフトが取れない

「必要とされていないなら来なくてもいいや」

(春)大半が幽霊部員に

残ったメンバーに皺寄せ

 

これは運営による典型的な需給管理ミスであり、かつ完全に予測可能な流れでござるな。

 

運営によるミスは、同様に運営の改善によって解決されるのが望ましい。

にも関わらず、既存ボランティアの善意に頼って解決しようとしているのが二次的問題とも言える。

 

残念ながら、いい人が穴を埋める構造は、いい人を潰すことでしか維持することができない。

現場の善意で埋め続けると必ず誰かが消耗するのでござる。

 

これは健全な組織とは呼べないでござろう。

個人の考え方の歪み

ここからが地味にポイントとなる、「個人の考え方の歪み」でござる。

 

これさえなければ、仮に運営に問題があったとしてもあそこまで闇堕ちしかけなかったのではないか。

個人的にはそう推察している。

 

今回拙者が闇堕ちしかけた内面的原因は、次の3つが同時に働いているからでござる。

  • 「困っている人(責任者)」への共感
  • 「弱い立場(子ども)」への倫理的責任感
  • 「自分ならなんとかできる」という実行力

 

拙者に限らず、この闇堕ち欲張り要素コンプ勢は、ほぼ確実にボロ雑巾ルートまっしぐらでござる。

学生時代に似たような環境で心身を病んだ身としては、耳が痛い話。(←学習しろ)

  

責任者、運営、そしてボランティア本人。

そのどこにも悪意がなくても、構造的にそうなってしまうのでござる。
 

そもそも、「行ってあげなきゃ」という考えは優しさでも何でもない。

ただ単に傲慢極まりない、責任の過剰引き取りでござる。

 

拙者、身の程を知りやがれ!(`・ω・´)

 

その責任とは本来、運営側が持つべきものでござる。

秋タームの供給過多による不満の蓄積や、新人を入れなかった判断。

これらはすべて、あくまで運営側のマネジメント上の課題でござる。

 

拙者のような一介のボランティアに過ぎない存在は、ただ最低限のシフトを全うすればいいだけなのでござる。

 

運営とボランティア。

改めてそれぞれの役割をはっきりさせると以下のようになる。

  • 運営の役割: システムの不備を補い、ボランティアが活動しやすい環境を整えること
  • ボランティアの役割: 決められた枠で最高のパフォーマンスを発揮すること

 

拙者に足りていなかったのは身の程を知るということ。

要は、「境界線を保つ」ということでござるな。

 

自分はヒーローでも神様でもなく、モブであるということを心に留めておくのがよかろう。

もしあのまま無理をしていたら

問題の構造が分かったところで、では仮にあのまま無理をしていたらどうなったていただろうか。

 

自分だけでなく、結果的にセラピー利用者にも悪影響を与えていた可能性がある。

これが拙者が考えた最悪のパターンでござる。

 

まず先述の通り、物理的な環境の厳しさによって、厩舎での作業は重労働でござる。

さらに、セラピー利用者は意思疎通が困難なことも稀ではない。

 

もちろんそれはセラピー利用者が悪いのではない。

 

ただ事実として、厩舎ボランティアでは体力的にも精神的にも消耗するのでござる。

 

疲弊し集中力が切れた状態では、ミスが増える可能性がある。

そのような状態で馬という大型の動物や繊細な子どもたちを相手にするのは、双方にとってリスクになりうる。

 

安全性や質の維持という観点から、「無理してシフトを増やす」のは極めて悪手だったと今なら分かる。

 

自分を守ることが、結果として子どもたち始めとしたボランティアの質を守ることにもなる。

というか、自分が倒れたら結局誰のためにもならないのでござる。

 

また、当時拙者はすでに最低シフトである2.5時間を確保していた。

この時点で組織が求める最低ラインを満たしているし、十分に貢献している。

 

それ以上拙者にできることといえば、その2.5時間を全うすることくらいでござろう。

それこそが、プログラムの質を保つ一番の貢献ではなかろうか。

 

もちろん、拙者の勘違い系頑張りが短期的には穴埋めになった可能性はある。

しかし、中長期的には質が落ちたり継続できなくなったりして、むしろ全体の質を下げていたことだろう。

 

それ以上に大きな問題なのは、「運営側が構造改善をしなくなる」かもしれないことでござる。

 

ボランティアが個人の無理でシステムの穴を埋め続けた結果、乗り切ることができたとする。

その結果だけ見て背景は汲まなかった場合、運営側は「今の体制でもなんとか回る」と誤認しかねない。

 

根本的・組織的な改善のためにも、時には「無理なものは無理!」と言葉と行動で示すことが大事でござる。

ボランティアの本質とは

ここで今一度、ボランティアの何たるかについて考えよう。

 

義務感や圧力で行ったらそれはもう『ボランティア』ではない

 

拙者の目を覚まさせてくれたドラテクネキの言葉はまさにその通りでござる。

 
ボランティアは本来、

  • 自発性(やりたいからやる)
  • 持続可能性(無理なく続けられる)
  • 代替可能性(個人に依存しない)

 

こういった精神に基づくものでござる。

要は「自分を犠牲にしてまでやるのは違う」ということでござるな。

 

というか、別ボランティアであるブックサンタ記事で自分で言うてたのにやっちゃってるよ……

拙者のバカタレ~~~~~~~

 

ボランティアの語源は「志願者」であって「犠牲者」ではない。

ボランティアの善意は無償であって無限ではない。

 

無償の善意とて、休まなければ新たに湧いては来ない。

心身共に健康な自分あってこそのボランティアでござる。

 

拙者的ボランティアの本質とは、自分と向き合うことでござる。

 

自分の気持に正直になる。

自分の体調を気遣う。

自分のできることの限界を知る。

 

真にボランティアを続けられるのは、こういったことに少しずつ向き合った人間ではなかろうか。

 

と、いいことを言ったところで、我らが朽木白哉様よりありがたいお言葉を贈ろう。

命を捨てて振るう刃で、護れるものなど無いと知れ。

(著:久保帯人 『BLEACH』63巻 570話 より引用)

 

ありがとうございます!

兄さま!

教訓

未来の自分へ、そしてこの記事をご覧になっている他のボランティア勢へ。

最後に、今回の出来事から拙者が得た教訓を共有する。

 

  1. 己の体を休めよ
  2. 足るを知れ
  3. 愚痴を聞き逃すな

 

まず、その1「己の体を休めよ」。

これは説明するまでもなく、無理して参加せず己の体調を優先せよということでござる。

休息日に体を休めることは、細々とでも活動を続けるための何よりの準備になる。

 

次に、その2「足るを知れ」。

これは、「すでに恵まれていることを自覚しろ」という意味ではない。

むしろ、「すでに十分貢献できているから大丈夫だよ」ということでござる。

 

かつての拙者のように「もっと活動しなきゃ」と思っている人。

ほんの少しでも既に活動してくれているのなら、その時点で非常に価値がある。

 

謙虚もほどほどに過ごされたし。

 

最後に、その3「愚痴を聞き逃すな」。

これは、自分の心を殺してはいけないということでござる。

 

愚痴を言うのは良くない。

愚痴を言っている暇があったら行動しよう。

 

今日ではこういった「愚痴=ナンセンス」系前向き思考が目立ってきている。

 

しかし、抱えられないときには愚痴をこぼすのもいいかもしれない。

というか、無理もない。

 

自然に出てしまうということは、そこまで追い詰められているということでござる。

 

不本意ではあるかもしれないが、愚痴をこぼしたことで周囲があなたの問題に気付くかもしれない。

それも、本人は些細なことだと思っていても、傍から見れば十分に深刻な状態に陥っているかもしれない。

 

実際に拙者も知らず知らずにこぼした愚痴によって問題を認識し、闇堕ちを回避したのでござる。

 

どうしても話す相手がいない人は、AIに愚痴るのでもよい。

問題にいち早く気付くためにも、頭ごなしに愚痴を否定・排除せず、本心からの重大なサインを見逃さないようにしよう。

 

以上が、拙者が得た教訓でござる。

おわり

今回の一件は、「ボランティアの本質とは何か」を改めて考えるいい機会になった。

 

拙者はカナダでの厩舎ボランティア以外に、献血やブックサンタなど、日本でも様々なボランティアに参加していた。

それでもいつの間にか義務感に流されそうになってしまっていたのでござる。

 

もっと活動的に

もっと前向きに

 

強い輝きももちろん素晴らしい。

しかし、時に立ち止まることも忘れずに生きていきたいものでござる。

 

ここまで読んでくれてありがとう。

 

そして、日々ボランティアに参加する皆さま、いつもありがとう。

あなたは十分よくやっているぞい。

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