記憶力敗北民のこぼれ雨でござる。
さっそくだが、読者諸君は人の顔と名前を覚えるのが得意だろうか。
拙者は超苦手でござる。
「覚えたで」と思っても次の瞬間にはあやふやになっているし、思い出そうにもモヤ~っとしか出てこない。
しかも皮肉なことに、自分自身は癖が強いので大抵の場合は一発で覚えてもらえるのでござる。
自分は覚えてもらえるのに、他人のことは覚えられない。
そんな人間の印象がどうなるかと言うと、「他人に興味のない努力不足なやつ」でござる。
拙者としてはこれに一言物申したい。
人間には誰しも不得意なことがあるのだと。
それが当たり前にできる人には想像しがたい難しさなのだと。(一言ちゃうやないか)
今回は、「人の顔と名前を覚えるのが苦手な人」への怠慢なイメージを払拭していく。
記憶力の違いや世間の誤解、覚えるためのちょっとした工夫など、つまみ食いしていくのでよろしく頼む。
そもそも、なぜ覚えられないのか
そもそも、なぜ人の顔と名前を覚えるのは難しいのだろうか。
特に苦労なく覚えられる人は既にこの時点で「は?www」と冷笑しておられるかもしれぬ。
が、一旦「覚えるのは難しい」という前提で聞いてくだされ。
顔認識(視覚処理)
顔というのは視覚情報、つまり画像データでござる。
一般的に顔というのは目・鼻・口の配置がほぼ同じであり、微細な差で識別する必要がある。
この処理は右脳の「紡錘状回顔領域(FFA)」という部位が担っている。
この部位および処理能力が弱いと、 顔が「似たものの集合」に見え、個別識別が曖昧になってしまう。
この顔認識処理能力には、当然、幅広い個人差があるが、その中でも
「名前より顔の方が圧倒的に覚えられない」
「モヤーっとしたイメージしか出てこない」
という感覚を持っている人は、画像データ処理が苦手な典型的なタイプでござる。
また、中には相貌失認という、顔を認識する能力が著しく低い状態も存在する。
完全な相貌失認でなくてもその能力にはグラデーションがあり、「やや苦手」というレベルの人はかなり存在すると考えられているそうだ。
名前認識(言語+聴覚)
画像データである顔に対し、酷い言い方だが名前は「意味のない音の羅列」として認識されやすい。
厳密には、左脳の言語領域で「記号」として捉えられるのでござる。
良くも悪くもキラキラネームが一度聞いたら忘れられないのは、その音情報が強烈ゆえ。
例えば「田中」や「Smith」など、よくある名前だと情報として薄いため、記憶に引っかかりにくい。
ちなみに拙者は他人のことは覚えられない一方、他人からは覚えてもらいやすい。
その理由の一つとして、キラキラではないにしろちょっと珍しい名前をしているからではないかと推察する。
脳のワーキングメモリ
一度に処理できる情報の容量「ワーキングメモリ」には個人差がある。
ここでのワーキングメモリとは、あえて「短期保持+統合」のこととする。
ここまでの説明をまとめると、
顔:視覚記憶(画像データ)
名前:言語記憶(テキストデータ)
であり、それぞれ脳の別の場所で認識・処理されている。
この2つを同時にリンクさせるのは、ただでさえ脳にとってかなり負荷が高いのでござる。
もし緊張していたり、会話の内容に集中しすぎたりすると、脳の処理はさらに難しくなる。
情報の「記憶」と「リンク」に脳のリソースを割けなくなり、「人の顔と名前を覚えられない」という残念な結果だけが残ってしまうのでござる。
よくある誤解と苦しみ
覚えられないのには理由があるものの、残念ながら誤解されやすいのが現実でござる。
- 覚えるのは当然のマナー
- 他人に興味がない証拠
- 努力不足である
覚えるのが苦手な人々は、こういったことを言われたことがある人も少なくないのではなかろうか。
「覚えるのが苦にならない人」からすれば、そう感じた「気持ちそのもの」は事実でござろう。
しかし、覚えられない人からすれば風評被害と言わざるを得ない。
- 覚えようとしても定着しない
- 何度も聞くことへの心理的負担
- 「失礼な人」というレッテルのストレス
よほど神経が図太くなければ、このような苦しみを経験しているのではなかろうか。
お気持ちはさておき、上記のような誤解が生まれてしまうのには、「当たり前」という厄介な背景がある。
では、両者では何が当たり前で何が違うのか。
次項では「人の顔と名前を覚えられる人/覚えられない人の違い」を考えてみよう。
「覚えられる人/覚えられない人」何が違うのか
我々に溝を作り出す、その要因には以下のようなものがある。
| 比較要素 | 覚えるのが苦手な人 | 覚えるのが得意な人 |
| 顔の認識 | 「一つの画像」として全体で見る | 「パーツの集合体」「特徴のラベル」で見る |
| 名前の記憶 | 音情報がすぐに消える | 音をそのまま記憶しやすい |
| 情報のリンク | 各情報が分断される | 各情報がセットで保存される |
| 初対面時の意識方向 | 会話内容・空気・自分の振る舞い | 顔・名前 |
| 認知の型 | エピソード記憶に強い | 事実・データの紐付けが速い |
表からお分かりのように、人の顔と名前を覚えるのが得意かどうかは「認知や処理の違い」が鍵になっている。
この差を意欲や努力論のみで埋めろというのは無茶な話でござる。
個人的に拙者に思い当たる節があるのは「エピソード記憶」でござる。
顔や名前といった「事実/データ」には弱い一方で
- こういう話をしていた人
- あの時こうやって助けてくれた人
- 理不尽な因縁を付けてきた人
など、一つ一つの印象的な出来事はけっこうしっかり覚えているのでござる。
「それが誰だったのか外見情報から該当人物をもう一度見つけろ」と言われたら無理だが(笑)
しっかし、「わたしはこういう認知タイプです♡」と言ったところで、「じゃあしょうがないね」とはならないのが世間というもの。
では、記憶力に難ありの我々は、この社会でどう行動すればいいのでござろうか。
覚えるのが苦手な人への提案
努力ではどうしようもない処理能力の差。
ここに原因があると分かったところで、「じゃあ覚えるのを放棄しよう」というわけではい。
と同時に、「やればできる! 努力こそすべて!」という根性論でもない。
必要なのは「戦略」でござる。
ここからは改善案を3つ紹介する。
できそうなものがあれば試してみて、自分に合うものを見つけてみてほしい。
言語化する
いわゆる「タグ付け」でござる。
これは、顔を画像データとしてではなく、特徴を言葉に変換して覚える方法なので、特に言語能力が強い人にオススメでござる。
例えば
- 鼻筋がシュッとしている
- 眉毛が濃い
- 笑うと目が細くなる
- 芸能人の○○に似ている
などでござる。
ただし、人それぞれコンプレックスはある。
自分から見れば長所でも、相手は気にしているということは起こりうる。
なので、これらの特徴メモはあくまで己だけが見る用にするのがよき。
とはいえ!
どーしても、外見に特徴のない人はいらっしゃる。
その場合は、次項の「名前に着目した場合」を除き、他の要素をメモしよう。
例えば、
- ファッション(眼鏡やメイクなど)
- 方言
- 共通の話題・エピソード(趣味や出身地など)
- その時の自分の感情
など。
注意が必要なのは、ファッション系の特徴の場合、次に会ったときもその特徴が残っている保証はないということでござる。
一方、感情は記憶を定着させる強力なフックになる。
「話やすいタイプ」だろうが「実はちょっと苦手」だろうが構わぬ。
どうせそのメモは他人に見せぬでござろう?
そのメモを単に記録して終わらず、次回までに見返しさえすればよい。
己の記憶力を信用しないがゆえの外注化も、ある意味誠実な対応でござる。
相手の名前を口に出す
覚えるには兎にも角にもアウトプット。
例えば、
「そうなんですね」→「〇〇さんはそう思われるんですね」
という風に、会話の中で意識的に相手の名前を混ぜてみるのでござる。
自分の耳で自分の声を聞くことで聴覚記憶が上書きされ、脳が「この情報は重要だ」と判断できるのでござる。
普段から
「考えるよりまず行動」
「身体を動かして身に付ける」
という実践タイプの人や、聴覚学習が得意な人にオススメでござる。
「早く・正直に」自己開示する
嘘を吐き通せない正直者のおぬし。
もう正直に言っちゃいなさい。
「思い出せないので教え下さい」と。
ここで大事なのは
×「覚えていないので」
〇「思い出せないので」
と言うことでござる。
あくまで「自分の能力不足に原因の所在がある」感を匂わせよう。
間違っても「お前の顔と名前、インパクトねぇんだよ」感は出さないように(笑)
記憶力は悪くても、その場で言葉は選べるよな?
他にも、「お名前をもう一度窺ってもいいですか」もアリでござる。
とにかく、「早く・正直に」自己開示するのがポイントでござる。
記憶力そのものは悪くても、誠実さや関心は別の行動で示せるのでな。
人の顔と名前を覚えられる人へ
ここで、覚えられる側の人たちへ。
覚えられない人代表の拙者からお願いでござる。
あいつは人の顔と名前を覚えるのが苦手。
だから、
「優しくしてあげよう」
「配慮してあげよう」
「カバーしてあげよう」
とまでは思う必要はない。
ただ、「自分と違う生き物がいる」ということだけ知っておいてほしいでござる。
おぬしの能力はおぬしにとって当たり前かもしれぬ。
しかし、我々からすれば素晴らしく羨ましい才能なのでござる。
そして、「人の顔と名前を覚えられない」同胞たちよ、絶望するなかれ。
苦手なら苦手なりにできる工夫がある。
そして何よりもまず「苦手であること」「メカニズムがあること」を知っておくのが大事でござる。
工夫の余地ありとはいえ、自分の人格まで全否定する必要はない。
まだ心では納得できなくても、せめて頭でだけは分かっておくだけでもよいではないか。
どちらのタイプの人間にせよ、「知っておく」ということが溝を埋める第一歩でござる。
無知は恐怖や拒絶を生むのでな。
おわり
以上、「人の顔と名前を覚えられないのは努力不足なのか」でござった。
人の顔と名前を覚えるのが苦手な同士諸君。
覚えるのが苦手なのは認知特性の違いでござる。
できないことを人格の問題にすり替える必要はない。
自分の脳に適した記憶方法をまだ見つけていないだけの可能性だってある。
その人とのエピソードなど、自分なりに覚えられそうな部分で少しずつ関係性を構築すればいい。
人の顔や名前を覚えているかどうかは人間性の差ではない。
覚えていなかったときにどう対応するかはには人間性が表れるのでござる。
ここまで読んでくれてありがとう。


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