【あるある?】流行への拒否感

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ひねくれ界隈日本代表、こぼれ雨でござる。

 

突然なのだが、読者諸君は流行りものへの拒否感はないだろうか。

拙者はめっちゃある。

 

例えば、ひっそり楽しんでいたアニメが流行り出した。

無名時代から推していたアーティストが急にバズッた。

 

そんなとき、表現し難い寂しさを感じないだろうか。

時には虚しさや嫌悪感すら生まれるときもある。

 

しかし、そう感じるのはおかしいことではない。

拙者ら人間は聖人君子ではないのでござる。

 

今日は、ひねくれた自分をちょっとだけ許せる記事をお届けする。

前置き

ここで一旦誤解を解いておくと、「流行っている=問答無用で拒否」というわけではない。

また、流行りものを楽しんでいる人を否定したいわけではない。

 

拙者とて、ハマるときはハマるのでござる。

しかし、それでもなぜか、流行の中心にあるものほど距離を取りたくなる。

 

拙者が慎重になりたいのは、流行そのものではなく、「流行が生む空気・構造」への違和感でござる。

そこだけよろぴく。

流行の「しんどさ」の正体

まずは流行ることによって生じる「しんどさ」を解剖していこう。

 

拙者は極めて歪んだ反骨精神の持ち主ゆえ、「好きなものが人と被りたくない」という逆張り的な気持ちも正直あるのも事実。

 

それはさておき、以下5項目が流行の闇だと推察いたす。

売り出しの強さによる辟易

世の中、商売。

 

残念ながら資本主義社会に生きる以上、これは仕方のないことでござる。

(競争社会から脱落した者が言えたことではないが……)

 

作品が末永く続くためとはいえ、このデジタル社会では宣伝活動が激しすぎる。

X(旧Twitter)などのSNSを開けてしまった日には、アルゴリズムによって狂ったように流行りの情報ばかり流れてくるのでござる。

 

そうなると、たとえ元々興味のあるコンテンツでも、強制的に見せつけられて食傷気味になってしまう。

 

「好き」とは本来、自発的な感情なのでござる。

それを「好きでしょ? 好きになるよね? ねぇねぇ!?」の圧で来られたら、「押し付けられているもの」にすり替わってしまうのも無理ない。

 

自分のペースが見だされるのが苦手な人や内気な人。

普段からこういう傾向をもつ人たちは、流行の押し付けを特に負担に感じることでござろう。

 

何でも押せばいいというものでない。

むしろ「押してダメなら引いてみろ」という言葉はなるほど、今日まで語り継がれるだけのことはある。

純度・民度の低下

公式からの宣伝だけならまだしも、加熱したコンテンツではファンと称した「流行りに乗って稼ぎたいだけの人」の投稿も流れてくる。

 

いわゆるインプレゾンビでござるな。

 

「アフィリエイトです」と公言している人は善良な部類でござる。

が、それらの投稿に対して「好きな気持ちを利用されている」と感じる人も出てくるだろう。

 

また、売れているのは作品であっても、起用された声優や歌手がどこにでも顔を出すようになる。

 

それはそれで構わない。

 

しかし、全然関係ない界隈(特にテレビ番組など)でも頻繁に見かけるようになると、安売りしているか便乗しているように捉えられるということは、業界関係者の耳に捩じ込みたく申し候。

 

活動範囲の拡大だけで済めばいいのだが、時折、作品の人気を自分の人気と勘違いして調子に乗る演者も……。

読者諸君それぞれの頭に浮かんだ人がいることでござろう。

 

制御できない熱狂の果てに、不祥事を起こす関係者。

結果として作品に傷が付くのは、受け手として遺憾の意を示さざるを得ぬ。

 

インプレゾンビや関係者など、暴走した人によって予測されるコンテンツの純度・民度の低下。

これも流行への嫌悪感への理由の一つといえるだろう。

「知ってて当然」という前提

これは案外「わかる~~」と思う人が多いのではなかろうか。

俗にいう「え、まだ知らないの?wwwww」という、そのコンテンツを知ってる前提の空気感でござる。

 

某アーティストや某ドラマ。

いつの時代でもあることでござる。

 

ちょっと自分語りなのだが、小学生の頃に担任の先生が毎日違う班と給食を食べるというイベントがあった。

それまでは先生が来てくれるのを楽しみにしていた、今は亡き純粋な拙者。

 

しかし、いざその日になると先生は当時話題になっていたドラマの話しかしないのでござった。

その上、例のドラマを見ている生徒としか話さないのでござる。

 

今の拙者なら「教師も人間とはいえカスの所業!!!!!(プンスコ」と相手を攻めること間違いなし。

しかし、当時の拙者はただ家に帰ってシクシク泣いていただけでござった……。

 

というか、当時の拙者の家には「小学生はドラマを見てはいけない」という謎ルールあったし(笑)

 

補足しておくと、会話に入れていないのは拙者一人ではなかった。

おそらく他にもそのドラマを見ていない子もいたと思われる。

 

子どもどうしの「え~っ、それ知らないの?」はまだ許せる。

しかし大人が、それも子ども相手にそれをするのは無意識だとしても如何なものでござろうか。

 

うん。

拙者の不幸自慢聞いてくれてありがとね(笑)

 

話を戻すと、これは「話題についていけない人が勝手に疎外感を抱く」という問題ではござらん。

もちろん、「話題に入れない人に配慮しろ!」というクレクレムーブではない。

 

「その話題を知らない人を格下扱いしない」

これが大事なのではなかろうか。

  

その話題を続けたければ、「私はここが好きなんだ~」という風に楽しく繋げばいい。

その作品ではなく、語る人自身の態度がその作品のイメージを左右するのでござる。

 

拙者も自分が布教する側になる時に気を付けたい視点でござる。

争いの火種に

界隈の盛り上がりと同時に発生するのは「争い」。

界隈が荒れると、ファンの醜さに幻滅し、連鎖的にコンテンツそのものを嫌っていしまうのでござる。

 

「初心を失う」「卒業する」といった経験がある人はピンとくるのではなかろうか。

 

代表的な例としては、「古参vs新規の分断」と「グッズマウント」の2つでござる。

古参 vs 新規の分断

排他的になる古参

ミーハー扱いされる新規

 

中には友好的な古参、礼儀正しい新規もいる。

 

しかし、悪目立ちしているの極一部な過激派によって、穏健派がコンテンツを離脱。

結果的に更に民度は悪化するのでござる。

グッズ・転売・マウント文化

流行りにつきもののトラブル「グッズ」でござる。

グッズマウントだけでもしんどいが、最近では転売ヤーだったり、公式による悪質な高額ランダム商法もある。

 

ここでもやはり資本主義の闇が……。

 

ほとんどグッズを買わない拙者としては、当事者らには「なにやっとんじゃい」という冷めた目で見てしまう。

どう考えても正気を失っているとしか思えん。

 

グッズを買うことや欲しがることが悪いとは言わぬ。

しかし、「グッズを手に入れるにあたってお主は今幸せか?」とは問いたい。

歪む公式

荒ぶる個人は止められない。

しかし、拙者としては地味に一番悲しいのは「公式の暴走」でござる。

 

人気が出て制作会社にとって稼ぎ頭となったコンテンツ。

やがて公式が調子に乗った結果、ファンに媚びて方向性を変えてきたらもう最悪でござる。

 

一時売れるために作品を歪めるか。

長く愛されるためにオリジナルを貫くか。

 

それ以前に、原作ありきの作品であれば「原作(者)ファースト主義」でいてほしいものでござる。

 

何を隠そう、拙者はヘテロからホモ(BL、GL)までいらっしゃいませでござる。(←誰も聞いてない)

 

しかーし!

 

本来の作品にはなかった「腐」要素をトッピングされても1mmも嬉しくない!

というかむしろ迷惑!

 

ありのままの作品きみが好きなんだ……

 

これも業界関係者の耳に捩じ込み(以下略

それでも「本当に好きなもの」は流行っても揺るがない

ここまで「流行り」に対して否定的な意見を述べてきたが、流行りものが一概に嫌いというわけではない。

流行っていても好きなものは好きだし、作品を恨んだりはしない。

 

ただ、少し距離を置きたくなることがある。

熱くなっている人を見ることで、逆に熱くなれなくなったりするのでござる。

 

捉えようによっては天邪鬼と言えるが、これは冷めてるのではない。

「好き」と「安全に好きでいられる」は別物なのでござる。

 

自分の中で、そして他人との間で「好き」にも温度差があると主張しておこう。

大事なのは「流行とどう付き合っていくか」

流行りへというものは多数の人間を味方につける。

また、流行りを送り出すのは「業界」という大きな組織でござる。

  

それに対し、拙者ら受け取り手は個人という単位。

 

拙者ら個人にとって大事なのは「流行とどう付き合っていくか」ということではなかろうか。

 

流行付き合い方の一つとして、「距離を取る」という手がござる。

 

誰かと一緒に楽しむ人もいれば、一人で静かに楽しむ人もいる。

開放的なときもあれば、殻に籠りたいときもある。

 

「たくさんの外側」と繋がる準備ができていないときは、距離を取るという選択をしてもいいのでござる。

 

自分のぺースで好きになる。

流行り出すとちょっと嫌になる。

しばらく離れるけど、落ち着いた頃にまた戻ってくる。

 

そういう、波のような付き合い方もありでござる。

 

仕事や家庭など、趣味以外にも人生の要素はたくさんある。

毎日同じ状態でいることはむしろ不可能なのでござる。

 

昨日と同じ付き合い方をできなくてもいい。

そういう風に自分を許しながら、好きな作品のある人生を歩もうではないか。

おわり

以上、「流行りへの拒否感」でござった。

 

繰り返すが、「流行り」そのものが一概に悪というわけではない。

「流行り」という情報が届くことで、知らなった作品やジャンルに出会うことができるのでござる。

 

自分の心やペースを守りながら好きな作品を楽しむ。

 

新しい情報や派手な宣伝か飛び交う現代で、そういったスタイルを保ちたいものでござる。

 

ここまで読んでくれてありがとう。

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