【思わぬ罠】テキストコミュニケーション疲れ

PC_tired_lady 雑記
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コミュ障田舎侍のこぼれ雨でござる。

 

突然だが、読者諸君は人とのコミュニケーションはどちらが好きでござろうか。

実際に人と会って話すか、それともテキストメッセージでやり取りするか。

 

つい最近まで拙者は「コミュ障だから文章でのやり取りは向いている」と勘違いしていた。

 

というのも、リアルな場での大人数との会話は得意でないからでござる。

てっきり、文章でのやりとりは得意だし落ち着けると思っていた。

しかし、実際にはオープンチャットをはじめとしたテキストコミュニティでは妙に疲れてしまった。

  
もし同じような違和感を持った人がいれば、今回の話は参考になるかもしれない。

拙者が感じた「テキストコミュニケーション疲れ」の実態および、原因と対策の考察をお伝えしよう。

テキストコミュニティが疲れる理由

まずは、テキストコミュニティが疲れる3つの理由と向き合ってみよう。

文字情報は案外カロリーが高い

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考えられる理由の中でも一番感じているのは「文字情報は案外カロリーが高い」ということ。

  

「カロリーが高い」というのは、「悪い意味で感情の情報量が多い」という意味でござる。

まぁ拙者もお気持ち垂れ流しブロガーなので人のことは言えないのだが……。

 

そこはさておき、高カロリーなメッセージにあちがちなパターンは以下でござる。 

・何でもいいから話を聞いてほしいだけの愚痴

・「今日は○○した」という日報のようなもの

・過度且つわざとらしいまでの励まし合い

・絵文字や感嘆符が多い文章

 

LINEのオープンチャットなどのテキストコミュニティにおいて特定の目的で設立されたグループというのは、情報の収集や交換といった、あくまで有益な交流の場として定義されやすい。

中には「自己紹介禁止」をルールに定めているグループもあるくらいでござる。

 

ここでは、生産性のない愚痴や「今日は○○した」という日報のようなものは禁止されていることが多いのだが、どうしても話を聞いてもらいたがる人が絶えない。

これらは、反応を返さなくても一方的に気力を奪う、秘かに高カロリーなテキストメッセージでござる。

 

また、愚痴とは正反対に、過剰な励まし合いも消耗の原因になる。

暴力的なまでのポジティブさは悪徳宗教さながらで、生理的嫌悪を生み出しやすい。

 

同様に、絵文字や感嘆符の多い文章は感情という情報量が多すぎて疲れの原因になる。 

 

かつて拙者を担当してくれた転職エージェントの一人がまさにこのタイプでござった。

すべての文末に「!」が付いており、連絡が来るだけで体調を崩すレベルでござった。

常時このテンションはキツイて……。

 

個人的には文末のにやたら汗マークがあるのがも生理的に苦手でござる。

他には上目遣い系の絵文字やションボリしている絵文字など。(日常使いしている人いたらごめん)

 

こう、暗に「私ってこんなに可哀そうだよ」「困っているから当然助けてくれるよね」「許してくれるよね」といった弱さの先制攻撃的なものを感じる。

 

平成の人なので(´・ω・`)とか( ^ω^ )とかの顔文字はいけるんやけど、最近の絵文字は顔がかわいすぎて逆にイラっとくる(←老害)

反対に、拙者の使う顔文字や文章スタイルが苦手な人だって当然いるだろう。

ゆえに拙者は「お前の文章ダルいわ」と批判されても甘んじて聞きはする所存。

だが反映はするとは言っていない。

 

また、好みに関わらず、テキスト疲労はほぼ当たり前のように起こる。

というのも、テキストコミュニケーション陽キャなるものが存在するからでござる。

 

彼らは、顔は見えないからこそ、文章になった途端に人格が変わったように饒舌になる。

特に、リアルでは押さえつけられているタイプだとなおさら顕著でござる。

しかもこれでなまじ文才と躍動感があれば、ある意味最悪ですな。

 

もうそういう人はいっそのこと商業作家目指せばええんとちゃうか。

 

愚痴、日報、励まし合い、絵文字や感嘆符。

これらを疲れの原因として指摘したが、あくまでそれだけでござる。

そのグループのルールで禁止されていない限り、決してこれらが「悪」とは言わない。

 

しかし、シンプルな「文字」だからこそ最短経路でダイレクトに感情が伝わるし、伝わりすぎる。

これこそが、最初に紹介したいテキスト疲れの理由でござった。

単純に量が多い

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テキストコミュニティおよびコミュニケーションがいように疲れる理由その2。

それは「単純に量が多い」からでござる。

これは共感できる人も多いのではなかろうか。

 

例えば、ある朝チャットを確認したとき。

そこに未読マークが何十……どころか百を超える数でついていたらうんざりしないだろうか。

 

もちろん最初から通知なんてもちろん切っておるぞい!

 

それでも単純な情報の多さに加え、質問・愚痴・励まし・雑談などすべてが同じチャットに並ぶカオスっぷり。

膨大な情報を遡り、かき分け、知りたい情報を受け取る頃には精神的を激しく消耗してしまうのでござる。

 

拙者は根性がないので、大量の未読マークを見た途端、その内容に急いで追い付こうとするどころか「もういいや、この話は知らなかったことにしよう」と、未読の記憶を無理やり消す(笑) 

 

仕事の連絡とかではないので無視しても大した問題はない。

名指しされていたり、誰かの質問に答えている途中でもない限り、大量の未読は遡らないのが精神衛生上よい。

 

そのチャットで「質問のみ」「雑談なし」などのルールがあったとしても、グループの人数が多くなればなるほどルールは徹底されなくなる。

その理由は大きく二つ。

 

一つは、「そんなルールくらい破ってもいいだろう」と軽んじる人がいるから。

管理人がいようが、顔すら分からない相手なんぞ怖くないと舐めている輩なんかもいたり。

 

もう一つは厄介で、基準や感性が違うから。

本人はルールを破っていないつもりで且つ気付いていないのでござる。

その人にとっては意味のある発言でも、第三者から見ればつまらない質問や無意味な雑談といったノイズでしかないのでござる。

 

メタ認知能力も人によって結構差がありますからな。

 

まぁそれ言い出したら起こりうる問題のすべてを「個人差だから仕方がない」で丸め込むことになるのだが。

闇の多様性あるある (^ω^)

 

残念ながら、悪気のある/なしに関わらず無法地帯になりがちなのがテキストコミュニティ。

グループメンバーが多ければそれだけでも大量の情報が流れてきやすくなる。

 

その疲れは「口頭か文字か」ではなく、単に関わる人間の数によって左右されているのかもしれない。

特に創作系は思想が強くて不安定

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最後の理由は少々限定的で、特に創作系のグループに関する話でござる。

 

クリエイティブな界隈には下記のような人がチラホラいる。

・思想が強い人

・感受性の強さゆえにメンタルが不安定な人

・孤独な作業の反動からか、異常に絡み方の強い人

 

説明するまでもなくご想像いただけることでござろう。

これらの補足として、拙者の個人的なエピソードを少し紹介する。

小説執筆系グループ

拙者は過去に小説創作のグループに入ろうとしていたが、結局入らなかった。

チラッと覗いてみたところ、先述したような過度な励まし合いが目に付いたのでそっ閉じして回れ右でござる。

 

純粋な励ましだったのだとしたら拙者の勘違いで申し訳ない。

しかしどうにも過剰というか不自然でござった。

もしも、励まし合いや作品への感想がノルマなのだったら、少なくとも拙者は向いていない環境だと思った。

 

さらに時々いるのが、「俺の作品を見ろ」「褒めろ」という承認欲求メンヘラ。

創作品をネット公開したことがある人には分かってもらえるだろうが、無名素人の作品なんか一人でも見てくれたら万歳でござる。

コメントが付いた日には何かのバグか夢か、はたまた詐欺かと思うくらいでござる。

 

だからこそ、「誰でもいいから見てほしい」「コメントがほしい」という気持ちは拙者も理解する。

そういう人は是非とも「お互いの作品を見てもらうこと」を目的としたグループに引っ越していただきたいものでござる。

音楽制作系グループ

拙者は過去にDTM(パソコンを使った音楽制作)のオープンチャットに、機材ソフトの情報を求めて加入していた時期がある。

結果からお伝えすると、そのグループは二ヶ月ほどで無言退出した。

 

察している人もいるかもしれないが、音楽界隈は尖った人が多い。(と感じやすい)

とにかく、煽り系発言が多いと言うか、常に喧嘩腰というか……。

実際に癖の強い人は極一部だと信じたいのだが、そういう人に限って発言頻度が高いので、どうしてもグループ全体が過激なように感じてしまう。

 

なお、ルール上では「参加してすぐに抜けるのは禁止」と書かれていた。

これも微妙なところで、二ヶ月で無言退出した拙者としては「ルールを破ってしまった」と感じている。

しかし、よくよく考えてみれば二ヶ月は「参加してすぐ」と見なされるのかもよく分からない。

二ヶ月を長い/短いと感じるのも結局個人差なのでござる。

 

また、常に問題だったのは、クレクレ系の人がいることでござる。

これは音楽だけでなくあらゆる界隈に存在していることでござろう。

 

クレクレ系というのは、いわゆる「テイカー」でござる。

特に界隈入りたての初心者さんに多く、分からないことをろくに調べもせずに「教えてください!」の人。

 

厄介なのは、本人は礼儀正しく教えを乞うているつもりなことでござる。

当人は何も調べていないので「どこの」「何が」どう分からないのか」すら分かっていないし説明できない。

なので、周囲も答えようがない。

 

こういったクレクレ系初心者に対して、時々はっきりと注意できる人がいる。

注意してくれること自体はありがたいのだが、ものすごいキツイ言い方をする人が多い。

おそらく過去に何度もこういうクレクレ系の人がいたから限界がきているのだと推察するが……。

 

で、何が起こるのかと言うと、新規 vs 古参の不毛な争いでござる。

テイカー気質の新規の言い分は「右も左も分からなくて聞いただけなのに……冷たい! 新人イビりだ!」。

経験豊富な厳しい先輩としては「甘ったれてんじゃねぇよ自分でなんとかしろ! 迷惑なテイカーは失せろ」。

  

こういうお決まりのやり取りを見ると、拙者はいつも「なぜ間を取ったやり取りができないのか」と思う。

 

初心者は初心者で、被害者ムーヴをやめて一度調べてから出直せばよい。

経験者は行動だけ諭して、不必要な攻撃や否定は控えればよい。

経験者からすれば「そこまでする義理はない」の一言に尽きるかもしれぬが。

 

殺伐としたやり取りを何度も見てきた末、自身はその問題に1mmも関与していないのに疲弊してしまった。

もう少し互いに歩み寄って、平和かつ建設的なテキストコミュニティを築けないものかと憂うばかりでござる。

  

ということで、3つ目の問題はもはやテキスト云々ではなく界隈の問題、「過激で不安定な環境」でござった。

文章スタイルの相性問題

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以上の3つが「テキストコミュニティが疲れる理由」でござった。

ここまでは環境、つまり自分の外側にある原因に触れてきた。

お次はあえて自分の内側で見つけた原因である、「文章スタイルの好み」について語ろう。

 

拙者のは普段よく小説を読むのだが、振り返ると「読みやすく感じる文章の傾向」が出ていた気がする。

 

例えばアガサクリスティーのように、情景描写が最低限のものはいち読み手として快適だと感じた。

一方で、具体的な作品名をあげることはしないが、詩的な情景描写に定評のあるものや、表現がぶっ飛んで幻想的すぎるものは嫌いではないが読むのに時間がかかる。

 

これはおそらくたぶん相性の問題で、得意な文章スタイルのものは自動的に内容が頭に入る。

逆に、得意でないものは意識して理解しようとしなければ、読書という体験が「文字を目で追う」だけの作業になってしまうのだろう。

 

誤解を招かないようにお伝えしておくと、訴えかけるような情景描写が嫌いなわけではない。

思わず風の匂いまで想像できてしまいそうな描写は大好物だし、情景描写がお粗末だと物足りないとすら思う。

 

ただ、あまりにも詞的すぎると理解できないがゆえに冷めてしまうし、感傷的すぎると食傷気味になる。

特に、近年見かけることが多い「泣ける」とか「あなたはこの物語に涙する!」系のやつ。

実際に数冊読んだことがあるが、今となってはこういう売り文句を見かけるだけでお腹いっぱいでござる。

 

気持ちに寄り添い過ぎられると、読み手としての余白がなくなるというか……?

文章のパーソナルスペースが近すぎるものは、読み手として得意ではないっぽい。

 

情景描写を批判しているわけではないのと同様に、これらを好む人がいてもまったく問題ない。

ドラマティック系文章をスルッと読むことができる人はおそらく感性が深いことだろう。

羨ましい限りなので拙者の分まで存分に楽しんで下され (´・ω・`)

 

前章では「文章は感情が乗りすぎる」「絵文字や感嘆符の多用がキツイ」「思想と熱量が強い」などと外側の原因を語ったが、誰もがそう感じるわけではない。

このような文面の方がむしろ人間らしさや温かみを感じられて快適な人だっているだろう。

 

しかし、もし拙者のようにテキストコミュニティで異常な疲れを感じているのなら、貴殿は「感情の熱量が高い文章」が苦手なタイプかもしれない。

自覚はなくとも、無意識に負担になっている可能性がある。

相性の問題なので、自分や相手を責める必要はない。

 

だからこそ、グループの決まり事や雰囲気が合わなければ抜ければよい。

まだ誰かと繋がる余力のある人は、自分と合ったテキストコミュニティを新たに見つければよい。

 

「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものでござるな。

テキストコミュニティで問題を起こしやすいタイプ

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文字情報が疲れる原因、個人的な文章タイプの相性を語ってきたが、根本的な問題としてどうしても「テキストコミュニティで問題を起こしやすいタイプ」というのは存在する。

 

書いておいて自分がそのタイプに該当しないことを祈るばかりでござる(´・ω・`)

 

軽く偏見ではあるが、あらゆるテキストコミュニティにしばらく所属することで、問題を起こしそうな人がなんとなく分かるようになった。

言葉遣いや言い回し、話の進め方、文章の長さなどによって「こいつは近い内に通報される地雷臭がする」と嗅ぎ分けられのでござる。

 

で、大体その予想は当たる。

 

そういう人たちの共通点の一つは、発言頻度が多いということでござる。

それも、誰かの質問に対して答えているとかではなくて、誰も聞いていないのにグループのテーマに一切関係ない自分語りを連投する。

文字情報は案外カロリーが高い」で触れた、日報タイプのことでござるな。

 

たぶん、問題を起こしがちな人というのは本質的に依存体質というか、構ってちゃんなのだろう。

結局、リアルだろうが文字だろうが、問題児の本質は変わらんのでござるよ。

 

グループが有意義な質疑応答の場であることを構うことなく、話したいことを聞いてもらうためだけに話す。

反応が得られるまで連投をやめないが、反応が得られるとそれはそれでより饒舌になる。

 

拙者は一度だけこういったタイプの人に反応を返してしまったことがある。

みんなから無視されているのが可哀そうでつい返答してしまったが、あれは間違った選択でござった。

結果的に依存され、なかなか会話を終わらせてもらえなかったのでござる。

 

常に「私が」、「私が」。

 

構ってちゃんというのは、会話のキャッチボールができないからこそ発言頻度が多くなるのだろう。

彼らがグループの管理人に強制退会させられるのを何度も見たことがある。

 

慈悲深い管理人だと、いきなり追い出さずにまずは注意することもある。

しかし、構ってちゃんに限って「私はみんなのために貴重な情報を共有してるんです!」と正当化する。

決して周囲の言葉は聞かず、自分は話したいことを話してしまうのでござる。

 

彼らに対して言いたいのは、他人を巻き込んだ「グループ」である以上、ルールに沿うのが道理であり、できなければメンバーではなくトラブルメイカーに過ぎない、ということ。

 

正味、どうしても自分語りがしたい人は拙者のようにブログを始めればいいと思う。

 

世の中には無料で始められるnoteなどもあるので、そっちから始めてもいいだろう。

拙者のように初心者のくせに有料ドメインブログから始めてしまえば「自分語りするな!」には「いや、俺のブログなんだが?」の一言で成敗でござる。

 

自分語りをした上で反応が欲しければブログ界でのし上がるか、知人に見てもらうか、いっそのことAIとお喋りすればよろしい。

グループの秩序を乱しておきながら、自分には反応してほしいというのは無茶な話。

悪目立ちすることで反応を得てもギリ許されるのはクソガキッズまででござるよ。

 

居場所がないなら居場所を作る。

 

なんだかんだでそれが一番手っ取り早い自分の機嫌の取り方でござる。

協調性のない人間こそ、その尖った部分を活用して独立しようぞ。

現在のスタイル

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最後に、テキストコミュニティ疲れを発見した拙者が、現在はどのように情報収集しているかを紹介する。

 

まず、紹介した通り創作系のグループからは一切退出してる。

X(旧Twitter)の創作系ハッシュタグでは、誰かと繋がることんなく一人で淡々と活動し、「単独活動、無言投稿」を貫いている。

 

そもそもが書くだけでいい小説執筆では、確認したい最低限の文章ルールや思い出せない漢字があっても、自力で調べれば問題ない。 

DTMに関しては、依然として機材のことなど聞きたいことが山ほどあるのだが、手探りでなんとかしている。

 

ソフトに関することなら公式メーカーのページを読むのはもちろん、ネットで記事が見つからなければYouTubeで探したりなど、とにかく「すでに出されている情報」を一方的に摂りに行くようにしている。

それでもどうしても情報がない場合は、データのバックアップを取った後、機能の分からない設定を思い切っていじり倒している。

 

現在所属しているテキストコミュニティは、ワーホリ系チャットを3つだけ。

これらも長らく幽霊メンバー状態であり、ワーホリが終わり次第速やかに去るつもりでござる。

 

拙者のようにテキストコミュニケーション疲れを起こした人は

・他人の問題に深入りしない

・質問対応時は丁寧に答えすぎない

・誰とも繋がらず淡々と活動

・情報は記事、動画、検索で取りに行く

・どうしても交流が必要になればグループではなく一対一

 

を意識してみたら少しは楽になるかもしれない。

 

どんな分野においても「他者と繋がること」「先人の教えを活用すること」は有意義でござる。

けれど、必ずしもポジティブな効果だけが得られるわけではない。

 

なので、テキストを介した交流を不快に感じても、自分が間違っているなどという誤解はしないでほしい。

ただ、環境の向き/不向きがあっただけなのでござる。

 

ここ最近では特に、16タイプなどの診断系が流行っていることもあって、「自分は内向型だ」「だから人と関わるのに向いていない」「文字でのやり取りなら上手くいくはず」と偏った結論に駆け込んでしまう傾向がある。

診断はあくまで一つの目安に、何よりも自分の感覚を大事にして環境選びにあたってほしい。

おわり

以上、「テキストコミュニケーション疲れ」の全貌でござった。

 

拙者と同じような疲れを感じた人は、一度テキストコミュニケーションから極力離れてみてはどうだろうか。

文字のやり取りから有益な情報以上にストレスも摂取していたことに気付くかもしれない。

 

そしていつの日か、平和で建設的なテキストコミュニケーション環境に出逢えることを願ってやまない。

 

ここまで読んでくれてありがとう。

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