【ワーホリ実録】「海外経験で積極性が身に付く」は誤解

cat-peeking-door ワーホリ
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カナダワーホリがもうすぐ終わりを迎えるニート、こぼれ雨でござる。

 

「海外に行くと人は変わる」とよく言われる。

 

留学すると積極的になる。

外国に住めば行動力が身につく。

日本では出せなかった自分を出せるようになる。

 

こうした話は、海外体験談としてよく語られる。

実際、海外生活をきっかけに行動的になったという人も多いのだろう。

 

しかし、拙者はむしろ逆の変化が起きたように感じている。

積極的になったどころか、以前よりも閉鎖的で内向的になったのでござる。

 

注意書きしておくと、これは「海外生活は意味がない」という話ではない。

ただ少なくとも、海外に行けば自動的に人が積極的になるわけではないということは言えると思う。

 

今回は拙者の経験談共に、「海外積極性神話」について考えていこう。

海外で内向性が増した理由

まずは、拙者がより内向的になった原因であろう二つの理由を語ろう。

常に誰も信頼できない環境

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内向的が促進した理由の一つは、環境として安心できないからでござる。

 

海外に来る前から他人に過度な期待をしない拙者だったが、一年間のワーホリでその傾向は悪化した。

 

一年間のカナダ日常生活の中で、

  • 約束が守られない
  • 責任の所在が曖昧
  • 物事が思ったように進まない

 

といった出来事は珍しくなかった。

 

なんというか、とにかく仕事が雑だし、言葉に重みがないのである。

だから心の錨を下ろして落ち着けないというか……。

 

ちょっとポエミーになってしもうた(笑)

 

あくまで拙者の経験談であって、外国圏の人全員がそうだと言うつもりはない。

 

ノリでの発言、とりあえずその場を流すための薄っぺらい言葉、碌に確認もしていない無責任な言葉。

こういったものに振り回されるだけ振り回されて、散々な目に遭ったことが何度かあったのは事実。

 

むこうからすれば、拙者が冗談通じないタイプの人間なのかもしれぬが(´・ω・`)

それに、単に拙者の言語能力やコミュ力が低かったから誤解が起こっているだけの可能性も濃厚でござる。

 

拙者とて、プライベートの会話でなら、多少は勢い任せの適当発言をされても怒ったりしない。

しかし、プロの仕事においてそれをされると消耗して仕方がないのでござる。

特に銀行など、何か少しでも手続きを間違えたら大問題になるような仕事では、軽はずみな発言は控えるのがプロの仕事だと拙者は考えている。

 

もちろん日本でも同じことは起きる。

しかし、日本社会では、たとえ内面ではどう思っていようと「真剣に謝る」ということはできるのでござる。

これがカナダだと、謝罪すら冗談めかすし、そもそも謝らない場合の方が多かった。

 

正気に戻ると、「プロならこうすべき」などというのも所詮は拙者の価値観であって、世界中の人にそれを押し付けることはできない。

だからこそ拙者は、相手に変化や改善を求めるのではなく、心のドアを何重にもロックして距離を取った。

 

カナダで普通とされている態度は、拙者にとっては不誠実と感じられるものでござった。

そして、拙者は自分の考え方を変え、相手に合わせにいくこともできなかった。

 

他人を変えられないからこそ自分を変えろとはよく言ったものだが、それが自分にとって大事な価値観であるなら話は難しい。

異なる文化圏にてお互いのための行動を選んだ結果、以前によりも閉鎖的で内向的になってのでござる。

開放性に押されて閉鎖的に

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内向性が増したもう一つの理由は、文化的な「開放性」である。

 

海外、とくに北米の文化はよく「オープン」と表現される。

  • 初対面でも気軽に話しかける
  • 自分の意見をはっきり言う
  • フレンドリーで距離が近い

 

これらは一般的にポジティブな特徴として語られることが多い。

 

しかし実際にその環境に入ってみると、必ずしも楽とは限らない。

開放的な文化には、距離の詰め方が速いという問題もあるからでござる。

 

日本の人間関係は、ある意味で慎重に距離を測る人が多い文化でござる。

時間をかけて関係を築き、少しずつ信頼を積み重ねる。

 

一方で、開放的な文化では最初から距離が近い。

日本で生き辛さを感じていた人にとっては、この違いは解放感になることでござろう。

 

拙者のように、日本人の固有能力「ATフィールド」が心地よかった人はむしろ圧力に感じる。

距離が近いことに慣れていないと、心が開く前に押されてしまう感覚になるからでござる。

反射的に防御機能の方が優位に働いてしまう、とでも言えばよいでござろうか。

 

心理的力学関係の結果として、外向的どころかむしろ内側に引くような状態になってしまうのでござるな。

「海外=積極的になる」と言われる理由

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それでも「海外に行くと人は積極的になる」説にはちょっとした裏があると拙者は考えている。

それは、体験談の偏りでござる。

 

よくよく考えてみれば、留学や海外移住を決断する時点で、また、「発信している」という点でその発信者はある一定の開放性や外向性を持っているのではなかろうか。 

 

拙者もこうして海外生活を発信しているが、「海外最高!」「人生変わった!」などの開放的な記事はない。

むしろ今回みたいにグチグチ鬱々したものが多い(笑)

その上、投稿頻度も高くない。

 

拙者の内容の暗さに関しては、ワーホリで失敗してばかりだから自然とネガティブになっているというのもあるかもしれぬが……(´・ω・`)

 

発信されている海外生活の内容では、どこかポジティブで華やかなものが目立つ。

日本では味わえなかった解放感を始めて海外で知った彼らは、この素晴らしさを周囲に共有したい前向きな気持ちに溢れているのか、投稿頻度も少なくない。

 

結局、こうした体験談が目立つと、「海外に行くと人は変わる」という印象が強くなるのでござる。

 

しかし実際には、環境が性格を劇的に変えるというより、本来の性格が別の形で表に出るのだと考えられる。

海外生活は「人を変える」のではなく「自分を浮き彫りにする」

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海外生活をして分かったのは、環境が人を劇的に作り替えるわけではないということでござる。

むしろ逆で、自分の性格や価値観がよりはっきり見えるようになるのでござる。

 

  • 何にストレスを感じるのか
  • どんな距離感の人間関係が心地よいのか
  • どこまで他人を信頼できるのか

 

そういった部分が、文化の違う環境の中で浮き彫りになるのでござる。

 

例えば拙者の場合。

  • 親しみよりも他人行儀な距離感
  • フランクよりもちょっと堅苦しいくらいの会話
  • 失敗を笑い合う協力関係より、間違いを指摘し合える仕事関係

 

などが自分に合っているなと自覚できた。

日本でも無能会社員だった拙者だが、案外日本の方が合っていたことに気付くことができたのでござる。

 

もちろん、今回の記事を読んで

 

読者
読者

筆者がわがままなだけじゃね?

適応力低すぎワロタwwwwww

 

と思った人もいるだろう。

 

それはごもっとも。

グゥの音も出ませぬ。

 

しかしながら、拙者としては無理に合わせなくてよかったなと思っている。

もし「合わせられない拙者が悪いんだ」と無理矢理自分を納得させて変えていたら、かつての学生時代のように心を壊していたことだろう。

 

ただ、「郷に入っては郷に従え」ができていないことも事実。

ゆえに、ビザの期限切れをもって日本に帰る選択をした。

 

相手の文化を尊重しなければならない。

けれど自分の心に嘘は吐けない。

 

カナダにてわがまま外国人である拙者は、母国に帰るのが当然と言えるだろう。

 

なおこのように、ちょっと苦い気持ちと共に「予想以上にめっちゃ日本人」な一面を知ったのは、繰り返すがあくまで拙者の場合でござる。

中には、海外で知った本当の自分が「開放的」「外向的」「積極的」なケースもあるだろう。

 

海外で知った本当の自分がどんなものでも、それは本物でござる。

「海外に行けば誰でも積極的になる」という神話が偽物なのでござる。

おわり

海外に住むこと自体は、確かに視野を広げる経験になる。

文化の違いに触れることで、当たり前だと思っていた価値観が相対化される。

 

ただし、それが必ずしも「積極的になる」という形で現れるとは限らない

 

行動的になる人もいれば、逆に慎重になる人もいる。

どちらもも間違いではない。

 

少なくとも拙者にとっての海外生活は、「別の自分になる経験」というよりも、自分という人間をもう少し正確に理解する時間になっているように思う。

 

海外に行けば新しい自分になれる、という物語は魅力的でござる。

しかし実際には、海外は魔法の装置ではない。

むしろそこにあるのは、「自分という人間の輪郭がはっきり見える体験」なのでござる。

 

ここまで読んでくれてありがとう。

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