こんにちは、ニートのこぼれ雨でござる。
今回は後味の悪い内容になっておる。
拙者はちょこちょこいろんな記事で「メンタルが弱い」的なことを言っていた気がする。
しかーし、なぜか外側からはメンタル強い設定にされている。
それって結構真剣に人を苦しめているんだよということを主張していくのが本記事でござる。
ほぼ愚痴で構成された自分語りになるので、ちょっとでも読んでてしんどくなったらブラウザバック推奨。
拙者のメンタルはクソ雑魚

拙者のメンタルはどんくらい雑魚いのか。
その理解を助ける一例を挙げる。
サンリオと朝日文庫がコラボした『Ichigo Keyowrds』というシリーズがある。
キティちゃんやらポムポムプリンやらが表紙だけでなく各ページに惜しみなく描かれた、大変愛くるしい書物でござる。
中身はというと、「ニーチェ」や「パンセ」、最近なら「老子」を取り扱い、分かりやすく教えてくれる。
要は、サンリオキャラがゆるく哲学を紹介してくれるシリーズでござる。
拙者はそもそも紙の書籍が好きで、夜なんかはできるだけ紙の本を読むのに時間を使いたい人間でござる。
普段は専ら小説派で実用書とか読まないタイプなのだが、この『Ichigo Keyowrds』シリーズは絵柄がかわいいのと、いつか読んでみたいと思っていた哲学書の数々に触れるいい機会なのでシリーズすべてを揃えて何度も読んでいる。
の・だ・が!(ここまでの説明我ながら無駄に長すぎる)
このキュートなシリーズは哲学的なだけあって、なかなか図星を突いてくる。
拙者はこれらを夜に読んでは、過去の悲しいことや後悔を思い出してテンションが下がり、渋々布団に入るも惨めな気持ちが溢れて最終的に泣きながら寝る。(寝付けない)
みたいなかんじにはメンタルが弱い。
勝手に嫌なこと思い出して勝手に病んでる。
それも割としょっちゅう。
メンタル弱いしかなり面倒くさい人間でござる。
「メンタル弱い」が信じてもらえない

「拙者はつくづくメンタルの弱い人間です」
この主張が周りに信じてもらえるならよかった。
でも現実はそうではなかった。
まじ理不尽。
主に小学校~大学までのクラスや部活での話にはなるのだが、何かしらトラブルがあったときなどに「どうすればいい」「なんとかしてほしい」と持ち込んでこられることが多かった。
いや、先に「助けてほしい」って言われたら拙者は助ける側に固定されるやないか。
先に泣かれたらこちらは涙を呑むしかなくなるやないか。
拙者とて誰かに頼っちまいたいでござるよ……。
この世は言い出したもん勝ちってことなんかね。
でも困っているのだと頼ってこられたら見捨てるのは難しく……。
(本当に困っているのか適当言っているのかは正直分からん)
なんとかして応えた結果、相手の中では「拙者=強い側の人」という印象が補強されてしまう。
いつの間にかそのイメージが周りの人間に広がっている。
いや、拙者全力を尽くして家に帰った後、疲れとキャパオーバーで号泣しておりますが?
さて、ここまで読んでイライラしているそこのおぬし。
分かるよ。
自分でもイライラしております。
拙者とてここまで書いてて思うんよ。
最初から全員バッサリお断りして無視すればええんやと。
カッコつけて期待に応えたりする自分が一番悪いんやと。
自分でもほんまにそれはそうやと思う。
けど先述した通り、拙者は本当に困っている人と、なんか都合よく使ってくる人を見分けられる自信がない。
結局いつも「ほんまに困ってたらどうしよ」となって最終的に自分の首を絞める羽目になる。
なんやろ。
もっとクールでハードボイルドに生きればええんかな。
諸悪の根源
法的に大人になってから気付いたことなのだが、拙者の性格にも問題があるとして、その性格を形成した諸悪の根源がおる。
それは、義務教育における「教師」でござる。
特に小学生と中学生の頃に多かったのが、友だち本人から頼られるんじゃなくて、教員が「こぼれ雨さん、○○さんが困っているから助けてあげて」とかいうやつ。
これ一回や二回じゃなくて、まじでしょっちゅうあった。
すると、「自分はこういう風に生きるんだ」とか難しいこと考えてない年頃だと、自分は誰かを助けるのが当然という刷り込みが行われる。
教員によるこういう扱い分けみたいなのは本当に危険だと思う。
いつの間にか毎回貧乏くじ引かされるポジションに固定されるわけやからな。
まぁ先生は先生でいろいろと大変やったのかもしれんが、ガキの頃の拙者って教員にとって動かしやすいカモだったんだなと振り返って悲しくなる。
こうやって周りの大人が特定の人間を「頼りになる都合のいいキャラ」設定にしていくのは呪いでござる。
役割を演じるのは限界がある

さてさて、幼少期に大人によって形成された「頼りになるキャラ」だが、自分も周りも大人なる年齢になってもこれが続くと自分と他人が認識するメンタル強さに齟齬生じるようになる。
その結果が『メンタル崩壊』でござる。
大学生の頃に剣道部で主務と、途中から会計監査を兼任していた。
他にもキャプテンとか会計とかなんか諸々の幹部はいた。
のだが、気付くと他の人が担当する分や細々した内容がかなり回ってきていた。
もちろん、全員が何もしてくれなかったということはなく、自分の仕事を全うしてくれる人もいた。
でもそういう人たちに全部皺寄せがくるんよな……。
明らかに人数のいる部活で、いつも限られた同じ面子だけが冗談抜きで心身を病みながら運営する。
そういう最低最悪のコミュニティでござった。
例えばやけど、まあなかなかに問題を起こす部員がおった。
それを上回生で話し合うのだが、嫌な役目を押し付け合った結果、最終的に「じゃあこぼれ雨が注意しといて」という結論になる。
それはさすがに主将・副主将の仕事だと主張するも、民主主義は数が多い方が勝つため主務兼会計監査の拙者がやることに……。
しかも、そもそも役割以上の仕事以前に、拙者事務作業とか数字が関わるやつめちゃ苦手なんよな。
なのに主務と会計監査!
というか、会計がほとんど仕事してないから実質会計も拙者!
しかも人数余ってるのに兼任って何⁉
今でも税金系の手続きとかわけわからん申請とか、比喩ではなく物理的に蕁麻疹が出るほど大っ嫌いでござる。
でも当時はそうしないと集団が運営できなくなるし、他にやってくれる人がいない(声をかけたが)ので、渋々かつ嫌々全力を出してなんとかこなしていた。
卒業後も縁の続く部員に会うと「事務作業得意だったね」とか「マルチタスク得意だね」とか今でも言われる。
その度「全然得意じゃないしめっちゃ苦手やし一生やりたくない(早口)」と否定するも、未だに信じてもらえない。
無理してやってたよ、誰もやらないから。
やらないと部として機能しないから。
そんで家帰って号泣しておりましたよ。
何度イメージを覆そうと主張しても信じてもらえないこと自体も徐々にメンタルを削る。
なんで信じてもらえんのだ……?
強くなかったもののの剣道そのものは楽しく、今でも好きでござる。
それでも全体的に振り返ったときに当時の部活動にいい思い出が残っていない。
本来なら卒業した部員はOB会に入らなければいけないのだが、当時限界に達していた拙者はようやく「逃げる」という選択をした。
部として送られてくるLINEやハガキをすべて無視した。
またボロ雑巾のようにこき使われると思うと本当に蕁麻疹が出た。
今となっては思い出すと蕁麻疹が出る程度だが、振り返ってみると当時はひどいものだった。
過呼吸を起こしたり、顔の半分が動かなくなったり、動悸が止まらなかったり、授業中に涙が止まらなくなったり……。
ちょっと余裕のできた「今」だから、当時はおかしかったんだなと思える。
けれど、その時は「病院に行く」「休む」という考えさえ思いつかなかった。
共に苦労を経験したメンバーも、数年経った今となっては「なんやかんや剣道部に入ってよかった」と語るが、拙者は今でも時を戻せるなら剣道部に入らない選択をしたい。
苦労した経験はいつかいい思い出になる、というのは嘘でござる。
拙者は未だに悪夢を見るし、当然布団の中で泣く。
お世辞でも「いい経験だった」「勉強になった」とはいえない。
強いて剣道部で得た学びといえば「無理だと思ったら逃げるべし」でござる。
なんか話の趣旨が「メンタル弱い」から「拙者のクソ大学時代語り」にシフトチェンジしてしまった。
とにかく拙者は「無理して役割に合わせていただけでメンタルは今も昔も強くない」のでござる。
メンタル強いと思われないために

グチグチつらつら書いたが、とりあえず今回問題に感じているのは「なんかメンタル強い人」みたいなイメージを実生活で周囲にもたれることでござる。
それが実際に自分で把握している強さと乖離がなければ問題ないんやで。
大幅に乖離しているから拙者としては問題なのでござる。
この問題を解消するにはどうすればいいのか。
消耗した脳ミソとメンタルが現時点ではじき出した対策はこんなかんじ。
1.頼まれごとに応えない
先述した通り、一切の頼まれごとを引き受けない。
見極める能力がないので、問答無用で全部断る。
クールでドライで手厳しいスタイルを貫く。
2.むしろ先に頼る
この世は先手必勝。
先に泣いた方、先に頼った方、先に弱さを出せた方が波に乗れる世知辛いシステムでござる。
自分からすすんで守られにいくという自己防衛。
3.そもそも人と関わらない
一番極端な解決方法。
そもそもの「周りの人間」という要素から排除していく。
繋がりなくして苦しみなし。
一番現実的なのは、パターン1だと思う。
助けることが相手のためになっているとは言えんしな。
相手をどんどんダメにしていることも考えられるわけでござる。
パターン2はちょっと難しいかもしれん。
幼少期に自然に身に付けられなかったことを今からできる気がせん。
できるようになればすごく楽だと思う。
拙者がここ数年どうしているかというと、パターン3のできるだけ人と関わらないようにしている。
そもそも人と関わらなければ頼られることもない。
学生の頃に付き合いのあった人たちが会社勤めや結婚などで忙しくなったり、新しい人間関係を構築したりしてくれるおかげで、いいかんじに拙者のことを忘れてくれる状態になっている。
これから先も拙者のことを忘れるなり、拙者が頼りにならない人間だと思ってもらうなりしてほしい。
こういう考えをポロっと言ったことがあるのだが、親くらいの世代の人からは「寂しい考え」だと言われる。
もしかしたら本当にそうかもしれない。
あと20年くらいしたら後悔するかもしれない。
でもどうしても今はそういう風にしか思えないのでござる。
この先の人生、残っている人間関係を水で薄めていきたいと思う。
そんで、もしこの先新しく知り合う人間がいれば、最初から雑魚モード全開で接してメンタル弱いことを信じてもらおうと思う。
おわり
今回の記事、読んでてイライラした人は多いと思う。
「じゃあ最初から全部断れよ」とか「助けを求める人を全否定しないで」とか「はいはい結局頼りになるアピですか」とか。
いろんな批判が予想されるが、拙者としての最終的な言い分はこれ一つ。
「メンタル強いことになっている人間の中にはこういうタイプも一部います」
その人の評価なんて所詮他人が言い出したことであって、自己申告したものではなかったりする。
今あなたが「メンタル強いな」「頼りになるな」と思っている相手は、あなた自信が相手にそうであってほしいから無意識に思い込んで押し付けているだけのイメージかもしれない。
また、もし拙者に共感できてしまった「メンタル強いことになってる」タイプの人。
君たちはとりあえず家帰って美味しいもの食べてダラダラするんだ。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
次は気分転換になるような記事をお届けできればと思う。
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