こぼれ雨でござる。
拙者は子どもの頃から好きなものが変わらない。
この性質は時に他人から遠回しに馬鹿にされることがある。
果たしてこの「子どもの頃から好きなものが変わらない」のは良いことなのか、悪いことなのか。
拙者と一緒に両面から考えていこう。
(鬱屈とした内容が続くので、しんどくなったらブラウザバックでよろしく!)
子どもの頃から好きだったもの
仮面ライダー、戦隊もの、ルパン三世、ポムポムプリン……。
拙者が幼少期から今にかけてずっと好きなものの一例でござる。
このラインナップを見てどう思うだろうか。
「全然普通だよ!」「むしろ趣味一緒なんだが」と思う人もいれば、中には「大人になっても好きなのはちょっと……」と思う人もいることだろう。
上述したもの以外にも、ユルい動物や星柄のアイテムは子どもの頃から今に至るまでずっと好きでござる。
とはいえ、デザインとしてどうしても他のアイテムから浮くことが多いので、家の中でだけ使うようなものに選んだりはする。
しかし、街中を歩いたり買い物をしている際に、手に取らなくても目で追ってしまう癖はなかなか取れない。
そういう時に誰かと一緒にいたりすると「そういうのが好きなの?」というサイレントチクチク言葉から、「いつまでも子どもっぽいね」「もうちょっと年相応なものにしなよ」みたいなガッツリ串刺し言葉までいただくことがある。
内心では「うるせぇ、ほっとけやい!」と強気でいながらも、「やっぱ自分って幼稚なんかな」とメンヘラこんにちはしている。
小学五年生の時に家庭科の授業でナップサック制作があったのだが、同級生のほとんどが蝶々と鎖が施された「ちょいセクシー系」やジーンズ生地に英字の「姉系」を選ぶ中、拙者はかわいい蜂さんの柄。
そもそもの裁縫セット選びですら、拙者はキャラ物のリラックマという少数派でござった。
蜂さんと! リラックマに! 罪はないです!!!!!!!
第二次成長期あたりから顕著になる「大人っぽい選択」。
これが当たり前にできる周囲とできない自分。
その違いを実感する小さな出来事が積み重なってきた結果、本当は気にしなくてもいい「自分の好み」を後ろめたく思う隙ができてしまったのではないかと思う。
特に「特撮」は卒業を催促される

※前置き
この章を読み進める前にお伝えしておくと、拙者は生物学的に女でござる。
もしかしたら他の記事から推察していた人や、最初からそうだと思っていた人もいるかもしれぬが、プロフに表記していないので一応。
ポムポムプリンを始めとするサンリオシリーズは今や大人だって「好き」を公言していることが多いし、ルパン三世は元々大人向けのダークな作風なので受け入れられることが多い。
しかし、仮面ライダーや戦隊ものに関しては「いつ卒業するの」とずっと聞かれていた。
中学生の頃は、他でもない拙者自身も「その内楽しめなくなっちゃうんだろうな」と思っていた。
中学生で観続けているだけでも少数派だったと思う。
ほとんどの子は小学校低学年で「ニチアサ(日曜朝の特撮やアニメ)」を卒業していた。
姉弟が特撮を卒業していった時や、一人で映画を観に行きはじめた時期はちょっと寂しくなくもなかった。
大学の授業がない日にあべのアポロシネマの昼上映に一人で行った日々は忘れない。
結局、大人になった今でも普通に楽しみながら視聴している。
先日の「スーパー戦隊シリーズ終了」のお知らせには悲しんだくらいでござる。
今でこそ、「意外と複雑なストーリーが大人向け」などと言われて、むしろメインターゲットである子どもが置いてけぼりにされることも少なくない特撮。
しかし、拙者はそんな「ストーリーの裏を楽しむ大人」だったかと言われたら微妙でござる。
かと言って、それなりの年頃で「特撮好き」と言うと必ずといっていいほど言われる「イケメン俳優好きなんや~」に対しては憤慨する。
もちろん、イケメンを目当てにすることや、イケメンがきっかけで特撮を好きになるのは全然いいと思う。
最近なら、声優がきっかけで特撮を観始める人だって多い。
けど、「いい年して特撮好きの女=イケメン目当て」と短絡的に決めつけられるのは気分が悪い。
拙者とて人間なので好みの顔の役者さんはいるが、人間ドラマやバトル、キャラ、アクション、サントラ、キャラソン、スーツ、装備、怪人など、拙者は「特撮全体」を楽しんでいる。
人生のほとんどを特撮と共に過ごして気付いたのは、拙者が特撮好きだったのは「流行りだから」でも「メインターゲットだったから」でもない。
ただどうしようもなく自分の好みに合っていたのでござる。
「好き」が詰まっていたのでござる。
とまぁ熱い自分語りをリアル披露したところで、ほとんどの人は最後まで話を聞いてくれないし、聞いたところで「で、言い訳終わった?ww」という嫌みな反応を返してくる。
ゆえに、個人のブログでこうして吠えまくっているわけでござる(´・ω・`)
「もっと大人になって」のは周囲の傲慢

子どもの頃から好きなものが変わらないこと。
これは自分がある程度納得していても周りからはチクチク言われることが多い。
例えば親や親戚。
「いつまで経っても子どもっぽいな」「もうちょっと大人っぽい趣味をもって」「少年みたいやな」と今でも帰省する度にどれか一つは言われる。
続いて、学生時代の教師たち。
「今は男児っぽいお前もその内お洒落や恋愛が第一になる」「あと数年もしたらブランドもののバッグにしか興味なくなる」など、拙者個人どころか女性という大きな主語を馬鹿にする発言。
中には「大人になってもそのままだったら300万円くれてやる」と言ってきたウンコ教師もいた。
生きてきた時代が違うから仕方がない。
特にここ数年は価値観のアップデートが急激だったから。
言われた側が許そうと思えば、こういった言い訳を用意してあげることもできるかもしれない。
が、拙者としてはこういった発言はいつの時代でも人を傷つけられると思う。
当時周囲にいた大人たちの声にはいつも、「お前もきっと普通になるに決まっている。そうじゃなければ困る」という身勝手な願望が滲み出ていた。
「オシャレ=恋愛いじりOK」のケダモノ思考

残念ながら、彼らの気持ち悪いところはこれだけではない。
少し身なりを整えたり、自分好みのファッションアイテムを身につけたりしただけで「なに色気づいたん?」と揶揄ってくるところでござる。
何でもかんでも恋愛や性欲に結び付けるピンク脳にはうんざりでござる。
彼らにとっては大人になるということは、自動的に恋愛第一になることなのでござろうか。
ただちょっと自分が「いいな」と思う形になっただけでこれでござる。
この悪趣味な揶揄いの大半は親世代によるものだったのだが、最近では同世代でも言ってくるようになった。
学生の頃は散々「もっとお洒落しなよ~」と言いつつ、いざ社会人になって久しぶりに会うと「背伸びしちゃってんの~」とか「彼氏できたん」と、それはそれは大層嬉しそうに揶揄ってくるものでござる。
何でも恋愛に結び付けたがる面倒な人間はここにもいた。
お洒落の理由を恋愛に直列接続するのは百歩譲って許してやらんでもないが、仮に自分がそうだからといって全人類が同じ思考回路であるとは思わないでほしいものでござる。
書いていて気付いたけど、仮に拙者が彼らの望む「大人」になったところで、何か別の要素を取り上げて因縁を付けてくるのだろうなー。
要は、見下せるなら理由なんて何でもいいのでござる。
お洒落に対してを含む、久しぶりに会ったときの反応だが、面白いことに人によって反応が違う。
「学生の頃のままやな」
「相変わらずやな」
「『こぼれ雨』ってかんじやな」
「変わってなくて安心する」
「そのままでいてほしい」
「今日なんかお洒落じゃない?」
「イメチェンしたのもありやと思う!」
文字だけで表すと、果たしてこれが何の裏のない言葉なのか、遠回しに馬鹿にしているのか分からないだろう。
しかし、実際には声や目付きで分かるものでござる。
拙者が今でも楽しくお付き合いできている友人は、外見の変化も、中身の不変も馬鹿にせずにいてくれる人たちでござる。
「子どもの頃から好きなものが変わらない」は悪いこと?

「子どもの頃から好きなものが変わらない」
これは「良い/悪い」の問題ではないと思う。
これは、拙者の周囲の人にとっての「都合が良い/悪い」なのでござる。
彼らは拙者が変わらなければ「子供っぽい」と批判し、望んだ通りに変われば「ほら、言った通りじゃん」と優越感を得るのでござる。
彼らは都合よく変化を求め、その変化が思い通りのものでなければ馬鹿にする。
そう思うと、俄然「拙者は拙者の道を貫く」と思えた。
もしかしたらただの天邪鬼だと思われるかもしれない。
というか、実際自分でも天邪鬼だと思う☆(^ω^)
何かを好きでいることで誰かに迷惑をかけているわけでもない。
もしかして自覚の範囲外で他人に迷惑をかけているのか知らんが、例に挙げたような失礼なこと言ってくる人よりは全然生き物としてマシだと思う。
「子どもの頃から好きなものが変わらない」のは「子どもの頃に好きだったものを大人になったことを理由に嫌いになったりせずにいられる」という素晴らしい長所でござる。
「良い/悪い」の問題ではないと主張したが、どちらかと言えば良いことでござる!
「子どもっぽい」ではなく初見発掘がうまい?

さて、ここまでは悲しかった経験談が続いたが、ここでは「子どもの頃から好きなものが変わらない」という要素から見つけた拙者のいい部分を紹介したい。
もしここまでの内容で共感したり、拙者と同じような体験をした人がいれば、これから紹介する素敵な内面があなたにも存在する可能性が高い。
アニメや漫画、ソシャゲを嗜む拙者だが、初見でこいつ好きやなと思ったキャラは大体最後まで好きでござる。
初見というのは、キャラビジュと名前だけ発表された時や、前情報なしの初登場時のことでござる。
初見でピンときたキャラは、後に中身を知っていくと「あーやっぱり癖に刺さるタイプやった~~」となる。
そんで、そういうキャラは完結まで全キャラが出ても最推しでい続ける。
無意識の経験則を駆使し、推せる性格のキャラをガワから導き出すのがうまいのかもしれぬ。
とはいえ、好きな対象が増えるということは全然ある。
ストーリーが進む上で途中からキャラも増え、それに伴って「好きの範囲」は広がる。
拙者がドはまり中のソシャゲ「魔法使いの約束」(開発・発信『coly』)に至っては、全キャラ大好きでござる。
今までこのヲタク専用の直感が外れたことはない。
捉えようによっては「一目惚れしやすい」のかもしれぬが、拙者としては「最終的に最推しになるキャラをスタートダッシュで見つけ出すのがうまい」のだと思っている。
先述の仮面ライダーに関する話と総合的に考えると、「子どもの頃から好きなものが変わらない」のではなく、「一生かけて好きでいられるものを見つけ出すのが早すぎる」だけ。
対象の魅力に最速で気付けるけど、その事実に自分が気付いていない。
拙者のように「子どもの頃から好きなものが変わらない」人は、もしかしたらお気に入りセンサーが強いのかもしれない。
余談:飽き性でもある

前章で持ち上げておいて完全に蛇足なのだが、拙者は実生活では飽き性な面が目立つことの方が多い。
「子どもの頃から好きなものが変わらない」と主張すると、まるで一途で一貫性のある人間のように聞こえるかもしれないが、案外そうでもないのでござる。
例えば大学時代。
拙者はゴリゴリ理系の大学出身なのだが、それゆえか学部卒で終わる人はかなり珍しく、大学院に進んで修士号を取得するのが一般的でござった。
というか、それが当たり前という無言の風潮が強かった。
たしかに、かなり有意義な実験をしていたとは思う。
しかし、拙者はたった一年の実験生活で飽きてしまったのでござる。
同じ研究室のメンバーからは「もっと実験したくないの」「続きをやりたくないの」と聞かれたが、拙者としては二年も残ってまでできる気がしなかった。
大学の研究を例にあげると大層に聞こえるが、日常のあらゆることを途中で投げ出している。
書きかけの小説を途中で放置することもあるし、編み物も全然キリの良くないところで投げ出す。
思い当たる小さな事象が多すぎて例をあげるのも一苦労なのだが、ネット社会になった現在、昨日までノリノリだった調べものが一晩明けたら熱が冷めていた、なんてのは日常茶飯事でござる。
何よりこのブログだってまったく投稿していない月があったような……(汗)
ただこれらのおかしなところは、数ヶ月したらまたやる気になって何事もなかったかのように続きから取り組むところでござる。
飽きるというか、厳密には「ムラがある」の方が近いか?
「子どもの頃から好きなものが変わらない」ことと現在のように「物事に対してムラがあること」は一見矛盾するように思える。
しかし、子どもの頃から好きなものとて、365日四六時中100%の熱量を向けているわけではござらん。
だからと言って、それは「もう興味を失った」というわけでもござらん。
序盤で「手に取らなくても目で追ってしまう」と語ったように、逆に常にマックスの興味を持っていなくても自動的に反応できるくらいには細く長く安定して「好き」が続いているのでござる。
省エネ低温ヲタク活動、とでも言おうか。
小説執筆にしろ、編み物にしろ、このブログにしろ、このデフォルトモードに至っていないだけで、戻ってくる程度には好んでいるのだと思う。
「変わらない好き」にはまだ遠いが、今はまだその仲間入りをするまでの道中にいるのだろう。
今のところ研究に戻る気は起きないが、もしかしたら何年もかけて出戻りしたり、しなかったり……?
これから育つ「好き」もいつか「ずっと好き」に変わると思うと楽しみでござる (^ω^)
おわり
以上、「子どもの頃から好きなものが変わらないのは良いことなのか、悪いことなのか」から派生する考察と自分語りでござった。
たくさん寄り道をしてしまったが、拙者が最後に伝えたいことはシンプル。
好きなものを馬鹿にされた人、大人になれと催促される人、自分をアプデしたら揶揄われた人……。
そのままでよいぞ!
周囲に都合のいい「大人」になる必要なし!
好きなもん好きでいてよし!
どうしても誰かに許してほしい人は拙者が許そう!
ここまで読んでくれてありがとう。


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