お一人様行動大好き、こぼれ雨でござる。
拙者は自分時間の過ごし方の一つとして、紙媒体で本を読むのが好きでござる。
紙の頁をたぐり活字を読むだけでなく、本屋さんで紙の本独特の香りを嗅ぎながら、表紙や背表紙を頼りに新たな本に出会うことも楽しみにしている。
だがここ数年で個人的に最近ちょっとした問題を感じるようになった。
「本も、人も、多すぎる!」のでござる。
情報に体が追い付かない

とにかく、しんどい。
「人が多い」というのは地域によるかもしれんが、書店が減っている今日現在、1つの本屋に集まる人の数が増えたように感じてもおかしくないと思う。
でもそれ以上に本でござる。
紙媒体の本好きとしては、紙の本が生き残っているどころか豊富に取り揃えられているのは大変喜ばしい。
だが、あまりにも量が多すぎる(ように感じる)。
いや違うな。
正確には「本の情報が多すぎる」のか。
店内を歩けば目がチカチカするくらい宣伝が目に入ってくる。
特に映像系音声の宣伝を設置しているところでは、絶えず爆音が流れてくる。
営業上仕方がないことなのだが、拙者としてはこれでは落ち着いて本を選ぶことができないのでござる。
それどころか、店を出ることになるくらい体調を崩す始末。
レジに行くより先に、何を選んで買うかどうかを決めるための体力が切れてしまう。
押し寄せてくる人と情報により誘発される頭痛に耐えられず、最終的には逃げるように店を出る羽目になる。
大型書店に行くと、その品揃えの豊富さゆえに、元々探していた本が見つかることはある。
しかし、それ以上に何も買って帰らないことが増えてしまった。
紙の本そのものだけではなく、本を探す行為自体も好きだった拙者としては嘆かわしい事態でござる。
対策の一つとして、多すぎる商品の種類や情報を視認してしまうと疲れるので、個人的に元々買わない雑誌だったり興味のないジャンルの棚には近づかないようにしてはいる。
それでも本選びに集中できないのは相変わらずでござる(´・ω・`)
情報疲れについて
余談だが、情報(特に音声)が多すぎると疲れて買い物できない、というのは本屋以外でも起こる。
マーチ風の元気な曲が鳴ってるスーパーではいつもヘトヘトになるし、買い物を諦めて帰ることもある。
特に、歌詞の入っている音楽が鳴っていると驚くほど買い物に集中できない。(某驚安の殿堂など)
だからクラシックが静かに流れてるマルハチとニトリ好きなんでござる。
今後もこの方針は変えないでと願うばかりでござる。
(マルハチは関西限定らしい。ローカルネタでスマヌ(´・ω・`))
ただし、この「情報が多すぎる」というのには多少は良い面もあると個人的に感じている。
拙者は人生の半分以上をアニメ・漫画・ゲームなどを嗜むことに捧げている身でござる。
人気コンテンツなどでは定期的にグッズ情報がお出しされ、過激なファンが多い界隈などでは悪しき転売ヤーを交えたグッズ争奪戦が起こり、さらにはグッズマウントなる愚かで醜い行為すら存在する。
最近では高額ランダム商法など、グッズ販売というのは常に何かしらのトラブルを抱えている。
で、そんなサブカル戦国時代においてメンタルザァコ侍の拙者はと言うと、意外と大丈夫でござる。
というのも、拙者はグッズというのを買ったことがほとんどない。
それこそ紙媒体好きとして、原作漫画や画集を買うことはあるが、その他グッズを自分から買うことはない。
「欲しくならないの?」と聞かれることもあるのだが、多分なっていない。
どちらかというと「グッズが出たんだね、よかったね~~(完)」でござる。
グッズが出るという情報だけで満足する、というなかなか燃費のいい構造をしている。
日常生活に支障をきたしているが、散財を防ぐことができるという点を含めれば、この「情報疲れ」はなかなかの諸刃の剣と言えよう。(←例えの使い方逆でござる)
理想的な本の選び方

そもそも今までどうやって本選んでてん。
という人に向けてご紹介すると、なんとなく気になったのを選ぶ、というのが拙者流でござる。
この「なんとなく」にはいろいろある。
それは表紙だったり、タイトルだったり、雰囲気だったり、なぜか目に付いただけだったり……。
とにかく、「なんとなく」気になるのでござる。
で、気になったものはとりあえず手に取り、一旦あらすじに目を通す。
時には中をパラパラっと覗いてみる。
話の内容がどれだけ良くても、文字の幅や文体なんかも後々の読みやすさに関係してくるので一応確認する。
その結果、より一層読んでみたくなったらお買い上げしてあとはお家でゆっくりと。
これが拙者が好んでいる「本との出会い方」でござる。
この「なんとなく」センサー発動には、自分の感性やその時の気分に集中していれば自然とできる。
そうして出会った本は、拙者の経験則的に持って帰る間も楽しいし、読んでいても楽しいものである。
おそらく、探している時や見つけた瞬間の喜びの思い出が残っているのでござろう。
こういう本は何度も読み返すことも多いように感じる。
のだが!
先述した「情報が多すぎる」という理由で、近頃ではこのセンサーを発動が発動しない。
大量消費ならびに情報過多の時代において、拙者のクソ雑魚ボディでは対策を練るしかないらしい。
ネット通販の恩恵と代償

そんなわけで、ネットで本を購入するようにした。
結果だけお伝えすると、「本を選ぶまでに疲れる」という問題はほとんど解消できた。
「ネットで買い物」と聞くと、むしろ鬱陶しい広告だらけで余計に情報疲れしそうに思われるだろう。
しかし、ネット通販となると、まず検索ボックスに目当ての作品もしくは作家名を入れるので、リアルショッピングで言うところの「目的のものだけ買ったら帰る」スタイルをとることができる。
また、人込みや音声広告もないので、体力切れを回避できていることは間違いない。
が、ここにきて別の問題が浮上してしまった。
お察しの通り、本を選ぶ楽しみがなくなったのでござる。
我ながらものすごく贅沢かつ矛盾した悩みだと思うのだが、聞いておくれ。
ネット通販を使うようになっても店頭の方が新しい本に出合いやすいので、頻度は減らしつつ足は運んでいた。
店頭だけでなくネット広告でも気になった本は一旦メモを取って家に帰ってから考えるようにしていたのだが、「できるだけいい買い物をしよう」と欲を出した拙者はその作品のレビューを先にチェックするようになった。
どんな物語にも価値があると思う一方、やはりお金がかかる。
なるだけ一度の買い物で気に入る作品に出逢いたい。
その結果、最初からいい評価を得ているかを確認してしまうようになった。
もちろん、ネタバレなしの評価だけ見ているのだが、どうも読む前から「やりきってしまった感」が否めない。
また、評価を得ている/得やすい作品というのは時流が反映されがちで、読む対象の幅が狭まったり、内容が似たり寄ったりにするようになってしまった。
しかし、「先に評価を見る」ことの一番の弊害は「偶然の発見による喜び」を失ってしまったことでござる。
当然なのだが、「一度家で調べる」という工程を踏んでいる以上、その作品との出会いは細切れ先行配信されているようなもの。
実際に書物が手元に届いて読み始める頃には鮮度が落ちているとでも言えばよいのか。
先述の通り、書店で買うという行為には少なからず思い出補正なるものがかかっている。
時間も体力も捧げているので余計に忘れられない出会いになっていることでござろう。
個人の体感として、書店で偶然出逢った気に入った本というのは、いつくらいの時期にどの本屋で出逢ったかを以外と忘れないものでござる。
一方、ネット通販で買った本はいつどんな経緯で買ったのかをびっくりするくらい覚えていない。
それくらい、思い出の濃度に違いがあると実感している。
紙の臭いが漂う本棚の間を縫って歩き、なんとなく気になったものを手に取る。
表と裏表紙を眺め、数ページパラパラとめくり、「これだ!」と思ったらレジに向かう。
会計を済ませると、その本を読めることを楽しみにしながら家に帰る。
こういう手間暇が表紙を開いて物語に飛び込むまでの滑走路になっているのだろう。(急にポエミーやめぃ)
「未知」「偶然」「感性」が詰まった、一見面倒そうで大好きな時間を、拙者は自分から手放してしまった。
しかし、手放すことになるまでは、書店での本選びの醍醐味は何なのか、自分が何を大切にして何を好んでいるのかもよく分かっていなかった。
このことは、目先の問題解決にばかり囚われて「無駄を楽しむ」ことを失う恐ろしさを拙者に教えてくれた。
しかーし、ポンコツ侍である拙者の失敗はまだ続く。
「無駄を楽しむ」ことを失うどころか、「本当に無駄な買い物」をしてしまったのでござる。
レビューも絶対ではない

そもそも、レビューを見たからといって必ず良い買い物ができるわけではない。
レビューというのはある程度参考にはできるけれども、自分の感性を合わないこともある。
あえて作品名を挙げるたりはしないが、かつて1冊だけレビュー内容と真逆の読書感想をもったことがある。
レビュー以前に、表紙やタイトル、あらすじも面白そうなので興味を持った。
レビューも平均☆4.8で、念のため複数の通販サイトで確認したが、絶賛するものばかりでござった。
さらに、一人くらいは聞いたことがあるレベルの著名作家が三人も帯で熱く推していた。
その内の一人は新刊が出たら必ず読むくらい好きな作家さんだった。
なので「これは信頼できる」と思い込んでしまった。
しかし、いざ読み始めると……正直つまらなかった。
いや、つまらなかっただけならいいのだが、一向に面白くならなくてイライラした。
アニメとかでもあるやん、序盤はちょっとおもんないけど途中からギア上がるやつ。
最初がつまんないのは「あるある」やからまだええんやけどな。
「たぶん今から面白くなるんだろう」という希望に縋ってなんとか最後の一ページまで辿り着いたものの、読み終わった感想としては「時間とお金返してくれ」でござった。
評価のわりにそこまでだったな、という作品はしょっちゅうある。
けれども、ここまで酷いと思ったのは初めてだった。
拙者も趣味で一次創作をする身として、魂を込めて書いても面白くない話を爆誕させてしまう気持ちは分かるし、我が子のような作品をこんな素人から批判されるのはさぞ腹が立つと思う。
それにしても、推薦やレビューが作品の出来に対してあまりに過剰なのではないかと感じた。
しかもこの作品、某出版社の小説大賞受賞なんよな……。
ここまで書いておいてなんだが、拙者の感性がおかしいだけということも全然ありうる。
個人的にあまりにも納得できなかったので、再度複数の通販サイトのレビューをすべてスクロールしてみた。
すると、ほぼ全員が☆4か5を付けているのに対し、ほんの僅かだか☆1が見つかった。
彼らのレビューを読むと、拙者が感じたことと同じ内容が書かれていた。
同士よ……。
この結果が「拙者の感性がおかしいから」なのか「レビューと推薦に金が絡んでいるから」なのかは分からぬ。
けれど、ハズレを減らす目的でレビューをチェックした結果、自分にとってはハズレである作品に出逢ってしまった経験は事実でござる。
この一件から、著名人の推薦を見かけても疑いを持つことができるようになったのでいい勉強になった。
一応言い訳しておくと、元々肩書に釣られる方ではなく、そもそもあまり有名人を知らなかったのだが、好みの作家さんマジックには抗えなかったみたいでござる。
後学のために拙者が引っかかったと思われる心理効果を調べて軽くまとめてみた。
| 効果名 | 内容 | 今回のポイント |
|---|---|---|
| バンドワゴン効果 | あるものが多数に支持されることで、その支持が一層多くなること | 「○○小説大賞受賞」「平均☆4.8」 |
| ウィンザー効果 | 当人よりも第三者からの言葉の方が信憑性/信頼性が増す | 口コミを見て安心してしまう |
| ハロー効果 | 対象が持つイメージに引っ張られて評価が歪んでしまう | 好きな作家さんが推薦 |
羅列してみると拙者のチョロさがよく分かるでござる。
まぁ大袈裟な売り出し文句に二度と引っかからないように学習することはできたのはいい。
しかし、「じゃあレビューって見る必要あるんかいな?」と、拙者はますます分からなくなってしまった。
レビューがそもそも操作されている可能性がある。
絶賛されているものがたまたま拙者には合わない可能性もある。
混乱の末、ついに拙者は本を買わなくなってしまった。
ニートになってからは図書館へ

実店舗での本選びは楽しいけど体が追い付かない。
ネットで買うと本選びの楽しみを失ってしまう。
果てには、レビューと宣伝に踊らされて本を買わなくなってしまった。
ドツボに嵌っている内に、拙者は会社を辞めてニートへ。
とうとう経済的に本を買えない状況になってしまった。
さて、退職してニートになっていた時期はどうしていたかというと、図書館を使っていた。
収入がなくなったこともあるが、本の入手おける満足のいく方法が見つかっていないので、しばらくは我々の税金で成り立つ図書館を使い倒そうという考えでござる。
そもそも最初から図書館を使っていれば解決したのではないかという意見もあることだろう。
が、拙者はレベル8くらいの潔癖症なのでござる。(Maxはレベル100とする)
ゆえに、ガキンチョの頃から図書館の黄ばんだ本が苦手でござった。
特に、拙者の地元図書館ではクソデカクシャミをぶっ放しながら本を読むおじさん(おじいさん?)が多かったのでその印象が嫌なかんじでこびりついてしまっていた。
借りてきた本に謎のシミが付いていたり、髪の毛が挟まれていたりしたらもう阿鼻叫喚でござる。
もちろん、書店で売っている本とて新品とはいえ不特定多数の人が触っている。
むしろこっちの方が汚れているのかもしれない。
でも髪の毛は挟まれてない。(今のところ)
今でも図書館の本を克服したわけではござらんが、入手以来誰も借りていなさそうな綺麗でマイナーな作品を借りるようにしている。
また、家に持ち帰ると紙の上に置き、触った後は必ず手をお湯で洗う。
これをしないと未だに読むことができない。
図書館の隠れデメリットは他にもあり、マイナーな本や公共の場に常設するには相応しくないと判断されたものは置かれていないことでござる。
こういうものの中には投書してみたら案外すんなり通ることもあれば、無理だったということもある。
しかし、それでもお金をかけずに古今東西の書物を楽しむことができるのはメリットが大きい。
例えば、拙者はどうしてもシェイクスピアのシリーズを全制覇してみたいと長年思っていた。
名前こそよく聞くシェイクスピア。
かの有名な「ロミオとジュリエット」のように、美しく儚い文学で溢れているのだろうと思っていた。
しかし、実際読んでみて初めて知ったのだが、シェイクスピアの作品というのは基本的に台本っぽい表記になっているのでござる。
そもそも彼自身が劇作家なので当然でござるな。
慣れていないので仕方がないのだが、これが読みにくいことこの上ない。
しかも、作品を跨いでとにかく下ネタが多い!
シェイクスピアのイメージ崩壊でござる。
まぁ所詮は拙者の勝手なイメージでしかなかったのだが。
「ロミオとジュリエット」とて美しく儚いかと言われたら微妙で、どちらかと言えば「理不尽と若気の至りと報連相不足」みたいな仮面ライダーオーズ風のタイトルを付けたくなる作品でござった。
結論を申しちゃうと、読んでみると文体的にも作風的にもシェイクスピアが合わなくて(話自体は面白いが)、正直「シリーズ買いしなくて良かったな」と思った。
極端な例ではござるが、図書館の恩恵をヒシヒシと感じた一件でござった。
図書館で出逢った本で手元に置きたいくらい気に入ったのがあれば、改めて購入しようと思う。
気付いたこと
静かな空間で感性を研ぎ澄ませながらゆっくり本を選ぶ。
この行為がいかに幸せに満ち溢れるものだったのかを思い知った。
物語を楽しむという行為は、その物語が綴られた本に出合うまでの時間から既に始まっているのでござる。
「これを避けると今度はあれが嫌」という内容が続き、なんだか文句ばかり言っている人になってしもうたが、おそらく今の拙者は本との付き合い方を見直すタイミングにいるのではないかと思っている。
気に入って読んでいる途中のシリーズ以外を買うのは今でもストップしており、拙者の人生でここまで長く本を買っていないのは初めてでござる。
月500円のお小遣いシステムが始まった中学生からコツコツ貯め、大学生でバイトを始め、社会人になって曲がりなりにも正社員を数年、生活費以外はほぼ書籍に使ってきた。
若い内はとにかく感性のままに読んだり、こうして失敗から学んだりすることも大切なので、これで良かったと心から思っている。
しかし、まもなく訪れる30代。
そして拙者は現在キャリアポイ捨てワーホリ中。
日本に変えればまた1……というか0から働く羽目になるだろうし、相変わらず税金だけは高いのだろう。
十数年におよぶ書籍の購入を落ち着かせ、振り返るのが正に今なのではなかろうか。
今後、より満足する読書ライフを送るためにも、今立ち止まって「あーでもない、こーでもない」と文句タラタラ試行錯誤していこうと思う。
おわり
今回の問題に対する個人的な改善・解決方法は残念ながらまだ見つかっていない。
もしかしたら本との出会い方に絶対的な正解などないのかもしれぬ。
拙者と同じように実店舗での本探しに苦しんだ経験のある人がいれば、その後どのようにしているのか教えてくれると大変参考になる。
また、もし拙者がより良いスタイルを見つけたらぜひまた記事にしたいと思う。
ここまで読んでくれてありがとう。



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