材料、分量、火加減、煮込み時間。
すべて勘でぶち込み、奇跡的に完成する神の一皿。
二度と同じものは作れない。
料理は感覚派、アクセル全開見切り発車のこぼれ雨でござる。
高度な発展を続ける社会でも絶滅しない「感覚派」。
過去、現在、未来へ情報と技術を繋ぐ「レシピ派」。
今回は、異なる料理スタイルの特徴や、逆算して導かれる性格傾向をお届けする。
また、料理スタイルの違いだけにとどまらず、社会における「感覚派」の危うさにも切り込んでいく。
Repeat after me, 「料理は爆発!」
れっつご。
「感覚で料理する」とは?
「感覚頼り」「レシピを見ない」「料理は爆発」
そう聞くと、たまたまキッチンに閉じ込められた社会不適合者のような印象を受けるだろう。
感覚派の名誉のためにお伝えすると、社不は拙者のような一部のみでござる( ^ω^ )
あくまで拙者視点からだが、感覚での料理とはざっくりとこんなかんじでござる。
・その日その瞬間の食べたいイメージで材料を選ぶ
・火加減や煮込み時間など、経験則と現場判断
・味見をしながら調整
・最初のイメージになかった要素も気分次第で採用
Yes, フリーダム。
感覚派の料理とは、究極の見切り発車と現場対応が織りなす暴走特急。
ケイシー・ライバックが偶然にも乗車していない限り、止めることはできないだろう。
そんな暴走特急に対し、分刻みのスケジュールで快適な陸の旅をお届けする日本の電車。
それがレシピ派でござる。
感覚派VSレシピ派

感覚で料理する人の比較対象とされるのは「レシピ派」でござる。
ここからは、感覚派とレシピ派それぞれの料理におけるメリット/デメリットを見ていこう。
| 特徴 | 感覚派 | レシピ派 |
| メリット | ・奇跡を起こせる ・自分好みの味にできる ・冷蔵庫の余り物に強い | ・再現性が高い ・安定した仕上がり ・初心者も安心 |
| デメリット | ・ムラがある ・他人にレシピを伝授できない ・再現性が低い | ・正解に縛られやすい ・失敗や挑戦への抵抗が大きい ・イレギュラーに弱い |
但し書きしておくと、 感覚派とレシピ派はどちらが優れているかではなく、需要と供給、タイプと相性などがあるだけでござる。
また、経験値や料理に求めるもの、立場などによってもどちらが向いているかが随時変わってくる。
例えば、料理初心者ならばレシピから始めるのが自然でござろう。
経験値を積んだ後、即興料理に取り組んでみると引き出しができるかもしれぬ。
他にも、過程の楽しさを求めるなら感覚、完成度の高さを求めるならレシピを頼りにするとよいだろう。
自分好みの味になったら「大正解」くらいの感覚派にとっては、失敗も間違いも「楽しい経験」でござる。
また、レシピ派は料理を教える立場にいてくれると喜ばれるだろう。
伝統を重んじるプロの現場や料理講師としては、感覚派は周囲を混乱させかねない。
感覚派はお家で楽しむ程度に留めるか、プロならいっそ独立した方が平和に過ごせるだろう。
このように、感覚とレシピは長短補い合う関係なのでござる。
料理スタイルから逆算する性格特徴

その時の状況だけでなく、個人の性格によっても料理スタイルが左右されると拙者は考えている。
人生の縮図(?)とも言える料理スタイルから逆算した、性格の違いがよく分かる代表例を5つ紹介しよう。
視点の違い
性格的特徴の一つ目は「視点」の違いでござる。
感覚派は過程毎の瞬間に、レシピ派はゴール地点に喜びのピークを置きやすい。
感覚派は作っているその瞬間が楽しく、結果はオマケ程度の認識でござろう。
実際に拙者はこのタイプで、カオス入り乱れるキッチンで無双している時はアドレナリンドバドバでござる。
また、たまたま神の一皿ができることを楽しみ、「同じものを作れない」と口では嘆きながら楽しんでいる。
刹那的快楽主義な一面もあるとも言える(突然の自己紹介)。
反対にレシピ派は、過程より結果を重視するタイプではなかろうか。
つまり、完成系を求め、最終時点にフォーカスしている。
材料の買い出し……いや、レシピの選定時から一つ一つ着実にゴールまで積み上げる。
この上り坂は急な凹凸などなく、なだらかに補正された美しい道路でござる。
料理以外で例えると、感覚派は過程を楽しめる反面飽き性なため、ゴールに辿り着けないことがある。
一方でレシピ派は、どれだけ過程がつまらなくても、その手堅い継続性で完成に辿り着くことが多いだろう。
協調性
性格的特徴の二つ目は「協調性」の違いでござる。
もしかしたら拙者だけかもしれんが、感覚派は人と同じものを作ることに楽しみを見出せず「おいらはレシピなんて見ねぇや!」となる。
要は天邪鬼でござる。
反対に、レシピ派は先人の教えを邪推せず、素直に学んでくれる。
レシピ派は人生で「ヤなこった、パンナコッタ」と言ったことがないのでは?
(※関西以外の人へ:「ヤなこった、パンナコッタ」は吉本新喜劇のネタです)
先程は「レシピ派は料理を教えるのに向いている」と書いたが、生徒にも向いている。
杉下右京のように「果たして本当にそうでしょうか」と連発しがちな俺たちは、目上相手に煙たがられること間違いなし。
完璧主義か
性格的特徴の三つ目は「完璧主義か」の違いでござる。
感覚派は基本的にパターン、バランス、流れ、タイミングなど大枠で捉えており、勝手にアレンジするし材料を省いたり代用したりするし、計量もしない。
中には「口に入ればなんでも同じ」という考えから、盛り付けや見栄えを気にしないタイプもいる。
悪く言えば雑なのだが、アドリブ力には定評がある。
常識を犠牲に手に入れた現場対応力ゆえに、不備があってもなんとか軌道修正できる。
一方、レシピを見る人の心理の一つとして「失敗したくない」というのがあるだろう。
これは完璧主義の裏返しと考えられる。
彼らは慎重で正確なのが美徳。
細かい数値を重視してレシピに従うだけでなく、見栄えにもこだわる。
頭が固くて面白みがないように聞こえるかもしれないが、レシピを書いた人は嬉しいと思うよ。
あと、綺麗な見た目のご飯出てきたらそれだけで食欲湧く。
レシピ派諸君にもう一つ朗報なのは、お菓子作りは細かい計量が求められるということ。
君たち、パティシエ目指してみない?
何を参考にするか
性格的特徴の四つ目は「何を参考にするか」の違いでござる。
感覚派はもちろん自分の感性をあてにする。
「レシピ」という記録の体を成していないだけで、感覚派の頭の中には過去の経験値や帰納法的に導いた本質のデータベースが存在している。
レシピ派は、他人、それもすでに経験値のある人の意見を取り入れる。
料理以外にも旅行先や贈り物など、人気品や定番ものをランキングサイトで調査する人が多いのでは?
同じ「過去」でも感覚派は自分の、レシピ派は不特定多数の他者による経験値を無意識に参考にする。
どちらにせよ、自分が納得していれば優劣はなく健全でござる。
安定かリスクか
性格的特徴の五つ目は「安定かリスクか」の違いでござる。
お察しの通り、感覚派はリスクを、レシピ派は安定を取る傾向がある。
感覚派はレシピに載っていない材料を追加することを始め、邪道と呼ばれそうなことでも平気で挑戦する。
彼らは普段から倫理に背いたことを考えがちでござる。
ついでに、たまに精神が不安定なだけでリスクを取るタイプもいる(→拙者)。
料理を振舞う相手を想って王道のレシピや美しい盛り付けを選択できるレシピ派は、相手の立場で考えることに長けている。
その反面、安定の価値を知っているがゆえに、常識に雁字搦めにされることもある。
どちらも極端になると倫理的にも精神衛生的にもよろしくない。
闇堕ちストッパーとして、自分と反対のタイプの助言には片耳くらい傾けてみようぞ。
料理スタイルは価値観の縮図

感覚派は柔軟かつ即興的。
レシピ派は計画的で安全志向。
まるで料理スタイルは価値観の縮図のようでござる。
この価値観が料理だけに反映されるはずもなく、仕事の進め方や勉強方法、人間関係の距離感といった、あらゆる日常の判断基準に滲み出ていく。
そして、残念なことに実社会では感覚派は社会でマイナス要素となりやすい。
神の一皿とゲテモノを反復横跳びする感覚派は、料理というフィールドにおいては「面白い」で済む。
しかし、仮にプロとして最高の一品を作ることができたとしても、それは「再現性がない」と呼ばれる。
ムラっ気があって自分の経験則に依存する感覚派は、料理講師やプロの料理人として雇うにはリスクが大きすぎるのでござる。
たった一度切りの120点を出せる人と、何度でも80点を出せる人。
どちらが社会的に信用されるだろうか。
よほど特殊な一部の環境を除いては、おそらく後者が求められるだろう。
ここからは料理を離れ、実社会という視点で感覚派の弊害について触れていこう。
感覚派諸君には耳の痛い話になるだろうが、絶望の中に希望がないこともないのでお付き合いくだされ。
社会では「再現性」が求められる

基本的に、組織というのはそれなりの人数で構成されており、定期的に新しい人間が入ってくる。
そこでは、「無作為に」「多くの人間が」「経験値に左右されず」「引き継ぐことのできる」「安定した」仕事で会社を回すことを目指している。
つまり、再現性の高さが求められているのでござる。
そんな集団社会において、「再現性がない人」には以下のような悪印象がお約束でござる。
・チームワークを乱す
・不確定要素が増える
・周囲がフォローに追われる
・トラブル時に説明できない
・能力があっても信頼されにくい
誠に残念無念、また来年。
社会的信頼を得にくいのが再現性のない人だが、中にはそもそもマニュアルを守らないタイプも存在する。
この場合はより一層信頼されるのが難しくなるだろう。
組織というのは結果を重視するが、それ以上に「統率されているか」にこだわる。
こういった環境では、マニュアルの遵守こそチームプレイの証明であり、逆に手順からの逸脱は反乱分子と見なされるのでござる。
うん、会社員時代の拙者で草(^ω^)
そもそもルールを無視するのは論外として、それでも生まれ持った気質というのは簡単に矯正できない。
むしろ矯正したところで、元々再現性を保ちやすい人の足元にも及ばないどころか、創造性という本来の長所を潰してしまうかもしれない。
この社会で感覚派が生き延びることはできないのだろうか。
感覚派が社会で生き残るための3つの道

とはいえ、社会において感覚派の需要がまったくないわけではないのでござる。
本当に感覚派がただの邪魔者なら、とっくに淘汰されていてもおかしくなかろう?
しかし、今日も感覚派は絶滅に至らず生き残っている。
もしこの世界が「再現性に長けたタイプ」だけしかいなければ、日々は同じことの繰り返し。
悪習は残り続け、飛躍的な発展は起こりえないのでござる。
「再現性がない」タイプもとい、感覚派はその刹那的な爆発で社会を発展させることができる。
その爆破地点とタイミングさえ分かれば、地雷から建設用ダイナマイトへの昇格も夢ではない。
馬鹿と天才は紙一重。
いや、英雄と極悪人は紙一重。
英雄とはいかないまでも、「使いどころのあるチョイ悪」として社会で生き残るための三つのポイントを考えてみた。
感覚をできる範囲で言語化する
サバイバル術その一。
それは「感覚の言語化」でござる。
いやいや、言語化できたら困ってねぇよ。
と思われるかもしれないが、何も完璧な文章を残せと言っているわけではない。
浮かんできたキーワードを箇条書きにするだけでもいいし、絵や図にしてもいい。
とにかく、「記憶を遡って出力する」という行動が大事でござる。
これは、「苦手なりに改善しようとしている」姿を周囲に晒すことで、歩み寄りやすくなるだけではない。
実際に書くことを続けるだけで、最初は謎の暗号だったメモもだんだんと形になってくるのでござる。
例えば拙者は料理した際、「ニンニク 気が済むまで」という主観全振りメモを残している。
気が済むまでということは、おそらく当時はかなりの量を入れたのだと推測はできる。
料理に限らず、どうしても言語化が難しければ、一旦写真に撮るのもよき。
後で写真を見返し、どこがハイライトだったかを振り返る。
作業時はゴールに視点を置けない感覚派だからこそ、作業が済んでからゴールを振り返ることで視野を広げる。
慣れてきたら、なぜうまくいったかなど深堀してみると、より質のいい記録になってくる。
一人で言語化するのが難しければ、AIに相談してみることもできる。
いきなり100%を目指そうとせず、自分にできる方法で少しずつ再現性を高めていけばよい。
再現性を求められない領域に引っ越す
サバイバル術その二は「環境の最適化」でござる。
「一部の特殊な職以外は再現性を求められる」と言ったが、いっそその一部の特殊な環境に引っ越してしまおうという案でござる。
例えば、創作や表現型の個人活動なんかでござるな。
扱い辛さに反して淘汰されてこなかった感覚派。
存在は間違いではないのに彼らを社会のバグのように感じるのは、単純に配置ミスだと考えることができる。
例にあげた創作界隈にとどまらず、どんな業界でも新しいものには前例がない。(小泉進次郎構文)
つまり、再現性ゼロから始まるのでござる。
再現性のなさを逆手に取って、ワンパターンが嫌われる環境やポジションに引っ越してみてはどうだろうか。
再現性のある人と分担する
サバイバル術その三は「役割分担」でござる。
自分にとって苦手な部分を、それを苦痛と思わない人に任せてしまうという作戦。
つまり、感覚派は 0→1を担当し、残りの 1→100 を繰り返し行うことができる、または仕組化できる人にお願いしてしまうのでござる。
ありがたいことに、「再現性のある」タイプが主流である世の中。
ということは、分担したくなった時、「再現性のない」側は補ってくれる側の人員に困らない。
選り取り見取り、「再現性のない」側に有利な椅子取りゲームになるのでござるな。
一つ注意点としては、分担しているとはいえ、できる限り説明責任する努力(サバイバル術その一)は必要だということでござる。
感覚派が「1」を作って後は丸投げではなく、この「1」が消えてしまわないように繋ぐのが重要でござる。
先述した通り、完璧に伝えられなくても構わない。
可能な限り言葉を絞り出しさえすれば、協調性に長けた 1→100 村のみなさんが全力で汲み取ってくれる。
しかし残念ながら世間には、周囲と馴染めない自分を認められず、逆に社会の歯車である人たちを馬鹿にする痛々しい感覚派も存在する。
未熟な感覚派に言いたいのは、社会の歯車でもそれは信頼された歯車だということ。
まずは足りないものを認めるところから始めていこうではないか。
おわり
さて、感覚派とレシピ派という料理スタイルの話から、社会で「再現性のなさ」をカバーする話にまで飛んでしまった。
何度も言うようだが、感覚派とレシピ派に優劣がないように、創造性と再現性のどちらも価値がある。
また、料理初心者が経験を積んで即興料理ができるようになるように、一発屋もレベルアップすることで創造神になる可能性はおおいにある。
大事なのはお互いの需要を理解し、歩み寄ろうとすることでござる。
いざという時に対極の存在が手を貸してくれたらこれほど心強いことはない。
そしてやっぱり、拙者にとって料理は爆発。
ここまで読んでくれてありがとう。


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