【自給自足】圧倒的「それ、自分で作るわ」精神の人

handcraft 雑記
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どうも、素人創作界隈のこぼれ雨でござる。

突然だが、読者諸君は何かを作ってみたいと思ったことはあるだろうか。

 

拙者はバラエティー豊かにいろいろと自作してきた。

 

ケーキを含む料理、アクセサリー、小説、推しグッズ、音楽などなど。

大きなものから小さなものまでいろいろと自作しがちな拙者でござる。

 

今日は「自分のための創作」を語っていく。

これから何か自作してみたい人や、すでに取り組んでいる人と分かり合えたらいいなと思う。

れっつご。

なぜ自分で作るのか

 

「ものづくり」

「創作」

「ハンドメイド」

 

これらの言葉は自由に満ち溢れた一方、なんだか面倒くさそうなイメージが湧いてくることだろう。

実際、拙者とて取組中に「めんどいな」「飽きてきたな」と思うタイミングは数知れず。

 

しかし、それでも「作る」という行為に至ってしまうしまうのはなぜか。

 

それは拙者がケチで我が儘だからでござる。

 

それぞれ 「ケチ」と「我が儘」の二つに分けて詳しくお伝えしよう。

「対価を払ってやってもらう」vs「対価を払わず自分でやる」

最近はなんでも物価が上がってきている。

物価が上がるだけならまだしも、値上げしておいて内容量が減ったり質が落ちることもしばしば……。

 

別に生産者や出品者を頭ごなしに責めるつもりはない。

 

ただ、時折拙者は思う。 

「じゃあ、自分で作るわ」と。

  

普通に考えれば、対価を払うだけで既に出来上がったものが楽に手に入るわけでござる。

 

しかし、どーも納得できない。

気持ちよくお金を払えない。

 

対価を払わない……ならば完成系は手に入らない。

ということは、対価を払わずに完成系を目指す……?

 

うっし、自分でやるか。

 

ということでござる。

今までこのスタンスで取り組んだものといえば、ケーキ、イヤリング、ニット帽、クリスマスリースなど。

 

この「自分でやるか」マインドはここで終わりではない。

一度己の手でやってみて、得られたものが労力に見合わなければ次からは既製品にする。

やってみて労力に見合う以上のものができれば、以降も自作する。

 

この自分的基準を知るためにも、一度己の手で作ってみるのはよいデータになる。

 

ということで、一つ目の考え方は「既製品の値段に納得できないとき、自分ればいい」でござる。

「俺の好みは俺が知ってる!」

たぶん最初はアクセサリーだったと思う。

 

世は大量生産、大量消費の時代。

「こういうイメージの商品が欲しい」と買い物に繰り出しても、完全に一致するものを見つけるのは難しい。

限りなく近いものを見つけることはあるが、納得できない。

 

クリティカルヒットする商品はなかなか見つからない一方、商品の数は多い。

溢れかえる選択肢の中から好みのものを見つけられないストレスといったら……。

 

「拙者ならもっとマブイの作るのに……」

 

ん?

 

「せや、自分で作ればええやないか」

 

そうです。

お出しされたものに文句があるならば、自分で生み出せばよいのです。

 

自分の好みを知っているのは自分自身。

自分の願いを叶えてあげられるのも自分自身というわけでござる。

 

同じ思考回路で小説の執筆も始めた。

以前こちらの記事で触れたのだが、近年は素敵な本との出会いが難しい。

 

本屋で本を見繕うだけで一苦労なのでござる。

 

それでも

「ノスタルジックでセンチメンタル且つちょっと血生臭い作風で、でも心安らぐ仮初の時間がありつつメリーバッドエンドになる物語において、キャラ同士のクソデカ感情に殴られたい!」

という欲望を捨て去ることはでなかった。(黙れ)

 

とはいえ、こんな性癖パーフェクトマッチングの作品は見つからず。

かといって、誰かに「書いてくれ!」なんて言うこともできず。

 

しゃーねー、自分で書いちまうか。

 

偏屈と変態を極めた結果、闇堕ちする前に創作エネルギーにすり替えることで、前科なしのままシャバでクリエイターもどきとして活動するに至ったのだ。

めでたし、めでたし。

 

ということで、二つ目の考え方「自分好みのものが見つからない場合、自分で作ればいい」でござる。

創作を始めて変わったこと 

さて、「創作を始めるまでの経緯」を語ったところで、今度は「創作を始めて変わったこと」に触れよう。

 

「創作を始めて」なんて書いたが、始めるも何もそんな心機一転気合いを入れて取り組みだしたことではない。

だから、「劇的に生活が変わった」「人として奥行きができた」などの希望に満ち溢れた答えは言えない。

 

ただ、生活の中で当たり前のように自分でやってみただけなのでござる。

実際に、取り組むにあたっての心理的ハードルはほとんどなかったと思う。

 

そんな中でも、強いて「これは新しい発見だ」と思えたことを3つ紹介する。

評価できるようになった

boy_one_finger

 

「自分で作る」ということを体感して以降、市場で売られている既製品に対して「値段高すぎぃぃぃぃいい!」みたいに思う場面は減ったように感じる。

 

自分で始めたとはいえ、途中で飽きたりしながら完成系までたどり着くのは面倒臭い。

手間もお金も、何より拙者に一番足りていない「やる気」が必要でござる。

それを、商品としてお出しできるレベルにもっていくのはどれだけの道のりだったのか。

中には本当にぼったくりなものもあるが、自分で作ってみてようやく市場価格に納得することもある。

 

近い話で、映画やアニメなどの芸術界隈では、作品を公開した後どこぞの馬骨野郎から「つまんねぇ作品!」とボロカスに叩かれる事案が発生しがちである。

中にはあえて戦わない姿勢を貫く人もいるが、時にはブチ切れた製作者が「じゃあお前がやってみろよ!」と、藍染隊長もびっくりの強い言葉を使ってしまうことがある。

 

このやり取りについて、拙者としては攻撃的な応酬が好きではないので「どっちが正しい」かをここで議論するつもりはない。

ただ、どんな規模のものでもいいから実際にものづくりをしてみると、どちらの気持ちにもちょっとずつ触れることができる。

 

作ってみることで作り手の苦労や気持ちが分かる。

かもしれない。

 

実際に何かを己の手で生み出すことで、出来の良し悪しにを後回しにし、我が子たる作品かわいさで感情的になる背景も推し測れることだろう。

また、「じゃぁ作ってみろよ」に対して「自分は作ってみた上で反論するけど……(以下略)」と、何も知らない素人よりは少なくとも体験に基づいて説得力のある意見をすることができるだろう。

 

拙者はチキンゆえそんなことはしないが、内心で厳しめ判定をするようにもなった。

先述した「市場価値に納得する」というエピソードに反するのだが、逆にクオリティの低い作品に対して「それを商品として売るのか……?」「これを買うくらいなら自分でもっと良いの作るわ」と思うことも増えた。

 

性格の悪い話だが、この見方に辿り着けたのも、自分で作ってみるということをしたからこそだと思う。

より一層ボッチになった

girl_two_finger

 

創作を始めて変化の二つ目として、より一層お一人様時間が増えた(笑)

創作というのはどうしても孤独な作業になりがちでござる。

 

世の中には「合作」という、他人と協力する作業も存在するが、それゆえトラブルが起きたときは修復不可能なくらい亀裂が入るのだとか……。

そもそも合作相手に声をかけるところからして労力すごそうなので拙者には無理でござる。

 

それはそうと、一人で自分の好みに集中する時間、初めての作業に調べ物をする時間、出来上がりを想像する時間、実際に手を動かす時間、予定外のトラブルに試行錯誤して取り組む時間……。

 

「自分のためだけに集中する時間」が爆増したと実感する。

個人的にはこれがすごく精神衛生上よいと感じている。

 

ネットが当たり前の今日にアナログ作業をすること自体が気分転換になるのだろう。

(小説執筆や音楽制作はパソコン作業だが)

 

他人を気にすることなく自分の、それも頭ではなく心に集中できるというのはなかなか贅沢な時間でござる。

一生創作だけで生きて行けたらどれほど心の安寧を保てることだろうか……。

 

社不は加速する(^ω^) 

イージーマインドになった

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創作を始めてからは「失敗してもいい」と、挑戦に対して前向きかつ楽観的になれているように感じる。

 

例えば、プロだったら先述したような「つまんねぇ作品!」という野次すらも受け止める気概を求められることでござろう。

一方、都合のいいことに拙者は素人でござる。

ものづくりでお金を稼いでいるわけではない。

 

「初めての作業だから」「仕事でも商品でもないから」とアマチュア創作ならではの言い訳をふんだんに駆使し、それはそれはまるで幼児のようなソフトマインドを保っている。

先程は「創作を始めて他人のにケチを付けることを正当化できるようになった」みたいに書いていたが、その反面、自分には激甘でござる。

 

一見クズ思考ではあることは認めるが、この考え方を取り戻すことによって、以前より卑屈さが減ったのではないかと思っている。(当社比)

以前だったらもっと「どうせ無理だし」「もっと上手い人がいるのに自分がやる意味なんて」「今からじゃ遅すぎる」などとネガティブフルコンボしていたことでござろう。

 

この先、創作物を商用利用するかどうかはまだ分からない。

ただ、アマチュアでいる内はその「素人肩書き」をふてぶてしくもフル活用していく所存。

創作を通じて知った自分のいいところ

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「創作を始めて変わったこと」から少し発展し、「創作を通じて知った自分のいいところ」を語らせてもらう。

前者では「前までなかったけど新しく手に入れたもの」なのに対し、今回紹介する後者は「気付いていなかっただけで前から持っていたもの」でござる。

 

それは、「自分のためなら苦手な作業もできる」ということ。

 

これは小説執筆中に気付いたことでござる。

 

拙者は書き上げた作品を投稿サイトでたまにウェブ公開する。

公開前には誤字脱字などのチェックをする工程があるのだが、これら校正作業をミスがなくなるまで何度も何度も狂ったように繰り返す。

 

誰にも頼まれていないのに。

 

なんなら執筆そのもの自体、誰からも頼まれていないのだがそれはさておき。

 

この「ミスがないか何度も確認する」という地味かつ自発的な行動は、拙者にとって大発見でござった。

というのも、会社員時代の拙者は細かいミスが多く、とにかく「無能」でだったのでござる。

 

アイディア出し又は上層部への鉄砲玉キャラとして、辛うじて空いた席に座ってきたが、これは社会人として必要とされているスキルではないのことが多い。

むしろ社会人に求められるのは協調性、傾聴力、謙虚さ、素直さ、向上心、競争力……などなど。

 

残念ながら拙者はこれらがすべて足りていなかった。

というか持っていなかった。

 

この不足スキルの一つが「正確性」でござった。

 

特に数字の絡んだ作業や既存のフォーマットに合わせるといった細かい作業が苦手だったのだが、最悪なことにセルフチェックもめちゃくちゃ下手でござった。

「確認しました!」と言いつつ、誰が見ても明らかなミスが残っており、何度見直してもなぜかミスがある。

「存在がストレス」「関わると時間の無駄」と酷評されたことも数知れず。

 

しょんぼりしながら過ごす毎日。

社会人になんてなりたくなかったと心の底から思う。

 

しかし、創作を始めて気付いてしまった。

 

依頼もされなければ報酬も発生しない。

どこにも需要はないけれど、強いて言うなら「俺得」でしかない。

それでも、会社で散々指摘されたセルフチェックを自発的に、そして徹底的に取り組んでいる。

 

拙者、やればできんじゃん (`・∀・´)エッヘン!!

 

誰にも認められなくても、それが苦手な作業でも、自分だけのためならば自然に取り組めるのでござる。

自身を失う社会人生活の中で、創作活動をしなければ一生気付かなかっただろう。

 

たとえ社会に貢献していないとしても、自分のことを好きになれるのなら花丸でござる。

他人にとっては「楽しくない」こと?

boy_think

 

さて、ここまで語ってきた「創作」というものは拙者にとっては楽しく充実したものである。

しかし、皆が皆そのような価値観を持っているわけではない。

読者諸君の中にも、創作活動をの楽しさを理解されなかった経験をお持ちの民がいるのではなかろうか。

 

孤独な苦しみを抱える創作界隈のためにも、価値観の違いのヒントになるエピソードがあるので紹介しよう。

これは拙者が中坊だった頃の話。

 

弟

暇~、なんかおもろいことない?

拙者
拙者

お話作ったり絵を描いたりすればええで!

あとは……手芸したり、音楽作ったり、それに詞をつけたりかな~

弟

え、何それ……クソつまんな……

もっと真面目に答えてほしいんやけど

拙者
拙者

?????????(思考停止)

 

というやり取りがござった。

 

今でも衝撃的すぎて忘れられぬ。

拙者はあまりにも意味不明すぎて思考停止していたのだが、たぶんそれは向こうも同じことだったろう。

 

拙者としては「自分的最高におもしろい最強の布陣!」くらいのつもりでいた。

まさかこの楽しさが分からない人がいたり、ふざけているように聞こえたりするとは思いもしなかった。

 

後から思えば「は? お前こそ何様じゃクソガキぃ~~~~」くらいはキレてもよかったと思う。

だが、当時は「楽しくないだと……?」という疑問と衝撃が強すぎて、怒りが1mmも湧いてこなかった。

 

本当に意味が分からなかった拙者は、とりあえず近くにいた母に聞いてみた。

 

拙者
拙者

お話作ったり絵を描いたりすんの楽しいやんな?

弟が暇って言うから他にも手芸、作曲、作詞とかもオススメしたら「クソつまんない」って言われたで。

母

……それ多分ほとんどの人にとっては楽しくないで。

あんたはな、そういうの好きやろうけど

ガーン!!!!!!

 

マジで!?

 

念のためにお伝えしておくと、拙者と弟は世間から見ればかなり仲良しな方だと思う。

とはいえ弟の性格は拙者と正反対でござる。

 

チームプレイが得意で、プライベートでも人との繋がりを意識し、みんなの気持ちを考えるのが弟。

もし学生時代に同じクラスにいたら最低限しか関わらなかっただろうなというタイプでござる。

 

一緒に育っておいてなんでこんなにも違うのだろうと長年思っていたのだが、ここ数年話題になっている16タイプ診断をしてみて少し腑に落ちた。

 

エネルギーの方向(外向 [E] と内向 [I] )や、判断の仕方(思考 [T] と感情 [F] )の項目において、拙者は中間よりなのだが、一応分類としてはINTP(論理学者)でござった。

 

一方、弟はESFJ(領事館)。

すべての項目が逆になっており、議論の余地はあるものの相性は最悪ということになっている。  

ちなみに母はISFちなみに母はISFJ(擁護者)でござる。

 

16タイプ診断を鵜呑みにするわけではないが、なんだか謎が少し解けたような気分でござった。

特に、N型の人は0→1が、S型の人は1→100が得意と言われている。

拙者は無意識に自分の得意なことをしていた、と考えることもできる。

 

なので、周囲から創作活動の楽しさを理解されない諸君。

 

もしかしたら彼らとおぬしは単に物事への興味が違うようにできているだけなのかもしれぬ。

決して意地悪で理解しようとしていないのではない。

 

時々ドリームキラーが存在することは否めんが……。

 

拙者とて、己の周囲で同じように創作に励む人を見たたことがない。

けれど、ネット社会になった今、プロアマ問わず拙者のように創作に勤しむ人間がいることを知った。

それに、興味のない体を装っているだけで、秘かに創作をしている人もいるのかもしれない。

 

価値観は人それぞれなので、孤独に臆せず気持ちのままに創作活動を続ければよいぞ。

お金や人のためにならなければダメなのか

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素人創作界隈につきものな悩み。

それは「お金や他人のためにならなければ価値はないのか」ということ。

 

拙者もその例に漏れず、学生の頃は「ひっそり楽しめる趣味」といったレベルでござった。

なんてったって「働く」ということについて真剣に考えることを強いられませんからな。(でも考えろ)

 

しかし、大人になるとどうしても「創作を続けていいのか」と自問自答する機会が訪れる。

 

「それでお金を稼がないのか」

「プロは目指さないのか」

「成果に繋がるのか」

「いつまで続けるのか」

「それに意味はあるのか」

 

これらはいずれも自分で考えるようになるだけでなく、他人からも聞かれるようになる。

 

お金を稼がない趣味は、お金のかかる趣味に。

社会に貢献できない行動は、卒業できない子どもの遊びに。

 

そんな風に自分でも、他人からも勝手に判断を下してしまうのでござる。

 

そりゃもちろん、家族や周囲の人に甚大な被害をもたらしながら己はのうのうと趣味に興じているのなら批判されても致し方ない。

しかし、誰にも迷惑をかけていないのであれば「余計なお世話」の一言に尽きる。

 

拙者は天邪鬼かつ反社会的マインドの持ち主なので、他人から「人様のやくに立て!」「意味のあることをしろ!」と言われたとしても問題ない。

 

「やーなこった、パンナコッタ~♪」(完)

  

でござる。

しかし、真面目で繊細な人だったら創作を辞めたり、最悪病んだりしてしまうのは残念な話でござる。 

 

そもそも、拙者は「他人のやくに立とう」「誰かを喜ばせよう」という気持ちが恐ろしく枯渇している。

社会貢献とか帰属意識とかナニソレオイシイノ状態でござる。

 

なので、他人のやくに立とうと思ってもできぬし、社会に貢献しようと思ってもフリで終わる。

誰よりもまず自分のためにした行動が、結果的になんやかんやで人のためになるなら結構なことでござる。

これは拙者だけでなく、真面目で繊細な創作人にも言えることでござる。

 

ただ、拙者とて作ったものを人にプレゼントすることはある。

でもそういう時は大概、事前に別のタイミングで創作物を褒められていて「じゃああなたの分も作るぞい」という流れでござる。

 

基本スタンスは、揺るぎないまでの「自分による自分のための創作」でござる。

 

というか、他人から見て無駄なことをいかに楽しむのかが人生でござるよ?

 

ニートである拙者が言うのだから間違いありませんな(笑)

 

やはり創作というのは、人の目を気にしないのがミソでござる。

創作活動を続けるか迷っている人がいるならば、ちょっと耳を貸してほしい。

 

「自分のが楽しめているのなら少なくとも人類一人分は貢献している」

 

屁理屈だとしてもこれとて事実。

ならば創作の手を止める理由などあるまい。

創作向いている人の特徴

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最後に、ここまでの考察内容から、拙者的「創作向いている人の特徴」を3つ紹介する。

一人が苦痛じゃない人

言わずもがな、ボッチ勢。

 

リアルな場なら習い事教室、オンラインでもチャットグループなど、近年では創作コミュニティ辞自体は数多く存在する。

しかし、どうしたって作業するときは孤独なものでござる。

 

コスプレやアクセサリー作りみたいにメジャーな界隈ならまだしも、藁人形作り(←適当)のように聞いたこともないようなニッチなジャンルだとそもそも繋がる相手もいなかったりする。

 

それが辛くないそこのおぬし!

むしろ孤独が嬉しいそこのおぬし!

 

おめでとう、貴殿は創作に向いております。

 

終わりの見えない個人作業を屁とも思わない。

それどころか、人の輪から離れて早く創作に取り掛かりたい。

一人の時間だろうと、頭の中ではアイディアが溢れて止まらない。

 

選ばれしボッチ族の皆さま、是非ものづくりに興じてみませぬか。

プロセスそのものを楽しめる人

拙者の社不要素の一つが「結果を出せない」こと。

しかし、創作をはじめてから「プロセスを楽しめる」という捉え方に変わった。

 

冷静に考えれば、ケーキとか小説とか作るのめんどいやん。

でも拙者はその作業の面倒臭さよりも楽しさが勝つのでござる。

ドイヒー作業を楽しいと思える性格でよかったなとつくづく思う。

 

ついでに「結果を出せない」タイプの人は「他人と競争する」能力もなかったりする。

 

おめでとう(以下略)

 

他人と競争できる人というのは社会で出世しやすい一方、逆に競争相手がいないと燃え尽きてしまったり、相手を意識しすぎて雁字搦めになったりしてしまう。

 

一方で競争社会弱者の俺たち!(笑)

マイワールドに存分に浸っていただいて結構です。

 

マイワールドに没頭することででオリジナリティが出るし、先述した孤独な作業も乗り越えられる。

 

資本主義社会を回すのは、結果を出せたり競争できたりするタイプにお任せして、我々創作ナードは社会の余白を作っていこうぞい。

ナルシストな人

最後は「手先が器用な人」でも「繊細な人」でもなく、まさかの「ナルシスト」。

何を隠そう、拙者こそが井の中の蛙系ナルシストでござる。

 

売り物を見たときに「自分の方がいいアイディアあるのに」「このくらいなら自分も作れる」。

そんなふうに思えるナルシーな人。

 

是非そのアイディアを形にして解き放とう。

貴殿なら既存のものを超えた革新的なものを生み出せるに違いない。

 

また、ナルシーな人は自分が大好き。

自分のために創作ができる。

 

万人受けなどクソ喰らえ。

社会貢献などお構いなし。

 

他でもない自分のためだけに、自分の好きを惜しみなく詰め込んだものづくりができる。

それが、ナルシストのいいところでござる。

きっと特別なものを作り上げてくれるだろう。

 

偏屈と変態、極めて下され。

おわり

以上、「それ、自分で作るわ」のマインドで動く拙者の創作語りでござった。

 

「いい年こいた社会人による自己満の極み」と言われればそれまでだが、特に誰かに迷惑をかけることなく己の欲望を満たす、健全な行為であると認識している。

 

この記事を読んで「創作は自分のためでいいんだ」「何か作ってみようかな」と、前向きに捉えられる人や何かに挑戦できる人が増えれば拙者はとても嬉しい。

 

ここまで読んでくれてありがとう。

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